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小夜啼鳥(ナイチンゲール)18 side春海
「柊っ!」
その時、突然ドアが勢いよく開いて、見知らぬ男が駆け込んできた。
「あんたっ!柊をしっかり押さえててっ!」
誰だかを問う前に大声で命令されて、そのあまりの迫力に、反射的に頷いてしまう。
男は、鞄のなかから注射器を取り出し、同じく取り出した瓶の中に入っていた液体を、それで吸い上げた。
「それはっ…」
「心配すんな。鎮静剤だ」
「えっ…!?」
「こいつには、抑制剤は効かない。暴れるのを止めるには、こうするしかない」
その中身を問い質そうとしたら、先に答えが返ってくる。
放り投げられ転がった瓶を確認すると、そこには確かに鎮静剤の名前が書かれていた。
「…あんた、医者か?」
強張った顔で楓の腕に注射してる男に訊ねると、チラリと一瞬だけ俺の顔を見る。
「ああ。こいつの主治医だ」
「そっか…」
主治医の判断なら大丈夫だろうと、ホッと息を吐く。
男が注射器を抜いてしばらくすると、鎮静剤が聞き始めたのか、楓の身体から力が抜けてきた。
「あ…ぁ…」
楓の大きく見開かれた瞳から、光が消えていく。
そうして、ゆっくりと目蓋が降りると、最後まで俺の腕を掴んでいた手が、パタリとソファの上に落ちた。
医者の男がその手を取り、脈を確認して、ふぅっと大きく息を吐き出す。
それから、訝しむような視線を俺に投げてきた。
「あんたは…」
「誉っ!」
眉をひそめ、なにかを問いかけようとしたとき、再びドアが勢いよく開いて。
オーナーが、部屋に飛び込んでくる。
「柊はっ!?」
「鎮静剤を打ったよ。錯乱が酷かったから、強いのを打ってしまった。しばらくは眠ってると思うよ」
「そっか…」
彼は大股で近付いてきて、俺を押し退け、ソファの側に跪くと。
痛ましいものを見るような眼差しで楓を見つめながら、そっとその色素の薄い柔らかい髪を撫でた。
「…店は?大丈夫なのか?」
「ああ。涼介はとりあえず控え室で休ませてる。あいつ、今朝薬飲み忘れたらしい。最近、ヒートの周期が安定してきてたから、うっかりしてたって。ったく…」
「他の子たちは?」
「志摩は、柊のフェロモンに当てられてヒートを起こしかけたけど、隆志がすぐに薬飲ませたから大丈夫だったみたいだ。他のやつらは薬飲んでたし、薬の効きにくい理人と正樹はフロアからすぐに出して、今は自宅まで石関に送らせてる」
「…二人は、後で様子を見に行ってみるか」
「頼む」
「店にいた客は?」
「詫び入れて、お帰りいただいたよ」
「…大丈夫なのか?」
「βのお客さんたちは、事故みたいなもんだから気にしないって言ってくれてたし、柊を襲おうとした御仁らは口外しないだろ。Ωのフェロモンでバーストしそうになった、なんて、あの人らにとっては恥でしかないからな」
医者の男と話しながらも、オーナーの目は楓から離れることはない。
強面の面差しと違って、楓に向ける眼差しはとても柔らかく温かくて。
楓がどんな道を辿ってこの人たちと巡りあったのかわからないけど
きっと今、この人たちに守られて
楓は穏やかに生きられているんだろうと
その眼差しを見つめながら、感じた。
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