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小夜啼鳥(ナイチンゲール)32 side春海

「…ごめんね…」 涙でぐちゃぐちゃになった顔を、お湯で濡らしたタオルで拭ってやると。 楓は叱られた子どものように肩を落として、謝った。 「…なんで、謝るの?」 「だって…情けないとこ、見せちゃった…」 目を真っ赤に腫れ上がらせて、バツが悪そうに俺を上目遣いで見るその姿は。 俺のよく知ってる楓だった。 「情けなくはないけど…貴重なもの、見れたよね。ちょっとやんちゃ風な、楓」 茶化しながら笑って見せると、子どもみたいに頬を膨らます。 「…だから、ごめんて」 「なかなかの演技力だったよ?アカデミー賞もの。うっかり、騙されそうになった」 「もうっ!からかわないでよ!」 「ごめんごめん」 振り上げた手首を、きゅっと掴み。 優しい力で引っ張ると、簡単に俺の胸の中に収まった。 「…大丈夫。蓮には、君がここにいることは言わないから」 「…っ…」 しっかりとその華奢な身体を抱き締め、耳元に囁くと。 びくりと小さく震える。 「楓が望むこと、全部その通りにする。だから、安心して俺の傍にいて?」 耳元で優しく囁けば、返事の代わりのように細い指が俺の肩をきゅっと掴んだ。 「…ごめんね…春くん…」 わかってるよ 君が俺だけにあんな態度を取った意味 蓮と繋がっているかもしれない俺に 失望させようとしたんでしょう? あの頃とは違う姿を見せて もう、蓮の運命の番ではないんだって思い込ませようとしたんだ でもね そんなことをしなくても俺はあいつに君の居場所を言うつもりはないよ ずっと迷ってたけど 君の苦しみを見て、決めた 俺、あいつには本気で怒ってるんだ 君をこんな場所に放り出したことは あいつにも原因の一端があるのに 10年もほったらかしにして君を苦しめ続けている 運命の番、なんて くそくらえだ 「臨床試験のことだって、無理に協力してくれなくてもいいよ。そんなことしなくったって、俺は君と一緒にいるから」 見返りなんてなにもいらない 君が安心して眠れる場所を俺が与えてあげたいだけ そんな気持ちを乗せて、言うと。 楓は少しだけ身体を離し、小さく首を横に振って。 顔を上げ、俺を見つめる。 「ううん…それは、俺がやりたいの。やらせて欲しい」 その瞳に宿っていたのは かつての親友のそれにも似た 強い意志 「ずっと…なんのために生きてるんだろうって、思ってた。俺なんか生きてて、なんの意味があるんだろうって。生まれてきてはいけなかった俺が、生まれてきたことに意味なんかあるんだろうかって。でも、春くんの話を聞いて、これだって思ったんだ。こんな俺でも使えるような抑制剤が開発されれば、きっとたくさんのΩが救われる気がする。お店で働いてる子たちのような、社会から隠れてひっそりと生きているΩが、みんな社会に出てαやβと同じに働いたり生活できたりする…そんな未来の第一歩のために、こんな俺が役に立つんじゃないだろうかって。そうしたら、俺が生まれて、今まで生きてきたことが意味のあることになるんじゃないかって、そう思ったから…だからお願い、春くん。この役目、俺にやらせてください」 凛とした潔い強さを感じさせる、眼差し。 でも、その裏側に込められた君の悲壮な決意に。 それほどまでに思い詰めなければならなかった、君の生い立ちと境遇に。 胸が、激しく痛んだ。 本当は、そんなことさせたくない。 今まで苦しい思いをしてきたぶん、甘やかして優しくしてあげたい。 なにも考えず、ただその日一日の小さな幸せだけを噛み締めるような生活を与えてあげたい。 でも、きっと君はそれを望まないだろう。 それに、そんな俺だけの意志を押し付けることは、君の今までの人生を否定することになるのだろうから…。 「…わかった。全て、楓の言う通りにするよ」 自分の気持ちを必死に心の奧にしまいこんで、無理やり頷いて見せると。 楓は鮮やかな花のように微笑んで。 「ありがとう…春くん…」 その小さくて美しい蕾のような唇で、そっと俺に触れた。 それは誓いのキス 俺と楓が 同じ咎を背負うための これから先 君が抱え込んだ苦しみを分かち合っていくための 誓いのキスだった

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