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小夜啼鳥(ナイチンゲール)37 side志摩
その日の夜、柊さんがお店を辞めることを伝えると。
辞める理由は伝えていないのに、みんなは口々にお祝いの言葉を送った。
みんな、柊さんが伊織先生の番になると思っているからだ。
真実を隠していることに後ろめたさはあるものの、僕は本当のことを言えなかった。
オーナーに口止めされてたのもあるけど。
柊さんは、みんなの夢だったから。
αに翻弄され
自分の意思ではなにも選ぶことが出来ず
ペットショップのショーケースの中で
αという飼い主をただ待つだけの存在
それが僕たち
だけど
柊さんは違った
自分に触れる人を
自分の意思で選ぶことが出来る
Ωである柊さんが
αを選ぶことができるんだ
もちろん、柊さんがなんの努力もせずにそうなったなんて思ってない
でも、僕たちだって頑張れば、いつかは柊さんみたいになれるんじゃないかって
自分の意思で
人生を掴みとって
自分が愛する人と生きていくことが出来るんじゃないかって
そんな夢を見させてくれる人だった
だからこそ
柊さんがαの中でも最上位の存在だろう伊織先生の番になることは
みんなの夢だったんだ
それは藤沢さまが人間としてどうこうって問題じゃなくて
Ωにとって一番の幸せとは
位の高いαの番になることだから
お得意様への挨拶もあるからと、柊さんがお店を辞めるのは二週間後に決まった。
オーナーと柊さんは、表面上はいつも通りの関係に戻ったように見えてたけど。
その雰囲気はどこかぎこちなくて。
柊さんが辞めるまでに仲直りできるといいなと思っていたけど、それは結局叶わなかった。
僕は、柊さんの姿を目に焼き付けるためにずっと後ろをくっついて歩いた。
柊さんの仕草。
柊さんの声色。
笑い方。
視線の流し方。
いつか、自分も柊さんみたいになれるように。
そして、柊さんが戻る場所を失くさないために。
この店を、ずっと守っていこうと。
そう、強く心に決めて。
柊さんのマンションは、置いてあったものごと全て、僕が譲り受けることになった。
「ピアノも、春くんが用意してくれるって言うから…良かったら、これからもずっと練習してみて?ああ見えて、誉さんもピアノ上手だから、教えてもらうと良いよ」
そう言って笑いながら、毎日僕にショパンのノクターンを教えてくれた。
「…ねぇ、柊さん」
全てのお客さまに挨拶を終え、お店を辞めて。
藤沢さまが柊さんを迎えにくる、その日。
僕はずっと聞きたかったことを、勇気を出して聞いてみることにした。
二週間の間、伊織先生がお店にくることはなかった。
「もし…運命の相手にもう一度会うことが出来たら…どうするの…?」
ほんの少しだけ
教えてくれた
柊さんの運命の相手のこと
血の繋がった実のお兄さんで
番になることを約束していたけど
お父さんに見つかって引き離されたんだって
その話をしてくれた時の柊さんの瞳は
とても哀しそうで
それなのにとても幸せそうにも見えた
「番に、なるの…?」
柊さんは鍵盤から手を離すと、穏やかに微笑んだまま首を横に振った。
「ならないよ。なれない。こんな穢れた人間が彼の番になることを、俺自身が許せないから」
なんの迷いもなく、きっぱりと言い切った言葉に、胸が苦しくなった。
「じゃあ、もう一生会わなくてもいいの?」
今度はそう聞いてみると、微かに瞳を揺らせて。
でも、なにも答えずに目を伏せた。
「…その人のこと、今でも好きなんでしょう?なのに…本当にそれでいいの…?」
その人のことを話したときの柊さんは、僕が見てきた中で、一番幸せそうな顔していて。
どんな柊さんよりも、一番綺麗で。
だから、わかったんだ。
柊さんは今でもその人を愛していることが。
「そうだね…」
小さな声で呟いて。
俯いていた顔を上げ、窓の外へと視線を移した。
その視線の先に広がるのは
どこまでも続く雲ひとつない天色 の空
「志摩にだけ、ホントのこと、ばらしちゃおっかな」
まるで、これからイタズラするみたいな楽しそうな顔で、笑って。
「…会いたいよ…もう一度だけでいい…蓮くんに、会いたい…」
囁くように言った言葉はきっと。
ずっとずっと心の奥底に押し込めていた
柊さんの本当の心
翼を捥がれ
飛べない空を見上げる天使のようなその姿を
僕は一生忘れることはないだろう
第二部 END
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