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猿喰鷲(さるくいわし)1 side蓮
2年後──────────
「蓮さん?ああ、ここにいたんですか」
窓の外に広がる、広大な庭園の向こう側に広がる都心のビル群を何とはなしに眺めていると。
和哉がドアから顔を出した。
「どうかしたのか?」
「菊池社長が探してました。斎藤大臣が到着されたとかで…」
「ああ、すまない。もうそんな時間か」
「ええ」
頷いて、取り出したスマホでメッセージを打ち始めた和哉の頭に、そっと手を伸ばす。
「え?なに?」
「髪の毛、跳ねてる」
「え、あ、すみませんっ…」
くるんっと他の毛とは逆向きに立ってる毛先を撫でてやると、ほんのり頬を赤く染めて手櫛で乱暴に頭を撫で付けた。
よく見れば、呼吸も少しだけ乱れている。
「なんか、トラブルでもあったか?」
「いえ…大丈夫です。ただ、俺が落ち着かなくて勝手に走り回ってるだけで…今日は、蓮さんの御披露目ですから、少しのミスも許されませんからね」
「俺の、じゃなくて、このホテルの、だろ?」
「違いますよ。蓮さんの、です。日本の経済界にようやく戻ってきたっていう、大事な御披露目会なんですから。…あ、ネクタイ曲がってますよ」
鼻息も荒く、そう断言する和哉に、つい溜め息が出た。
今の俺はそんなたいそうな存在でもないのだが、どうせ否定するだけ無駄なので黙っておくことにする。
こいつの俺への変なフィルターは
一生外れることはないんだろうな…
アメリカで散々情けない姿を見ているくせに、俺への印象が学生時代から全く変わらないのはどうしてなんだろうかと不思議に思いながら、俺のネクタイをいそいそと直している和哉を見ていると。
視線に気付いたのか、顔を上げて。
間近でにっこりと微笑んで、俺の頬に触れるだけのキスをした。
「やっと、ここまで来ましたね」
「…和哉。俺は別に…」
「ようやく、あなたが本来居るべきだった場所へ、戻ってきたんです」
心底嬉しそうな様子に、反論するのもまた無駄だと悟って、その視線から逃れるように目を伏せる。
その時、まるでタイミングを見計らったようにドアをノックする音が響いた。
「はい、どうぞ」
ピタリと身体を密着させていた和哉を、片手で退かしながら返事をすると。
菊池社長が顔を覗かせる。
「総支配人。今、ちょっといいかな?斎藤大臣がいらっしゃったから、ご挨拶をと思ってね」
「はい」
頷くと。
菊池さんのあとに続いて、最近テレビでよく見かける顔が現れた。
「ようこそいらっしゃいました、斎藤さま。この度は、厚生労働相への就任、おめでとうございます」
先月の内閣改造で環境相から厚生労働相へと呼称が代わった目の前の男に、頭を下げる。
彼こそが、今日の最大のV.I.P.だった。
「ありがとう」
鷹揚に頷いた大臣は、立っているだけで他を圧倒するようなα独特の威圧感に溢れていて。
久しぶりに感じる微かな緊張と高揚感に、ぞくぞくする。
こんな人間に会うのは、久しぶりだ
「今日は、菊池ホテルチェーンの旗艦となる、コンチネンタルメープルホテル東京の御披露目会に、お招きありがとう。君が、総支配人?」
「はい。九条蓮と、申します」
差し出された手を握りながら、名乗ると。
繋がれた手に、ぐっと力が入った。
「…九条…蓮…」
その獅子の瞳が、食い入るように俺を見つめる。
「はい。…私の名前に、なにか?」
気を抜けば噛みつかれてしまいそうな、強く不躾な視線を腹に力を入れて見返していると。
その瞳の奥が、微かに揺れて。
「いや、なんでもない。今日は、久々にゆっくりさせてもらうよ。菊池くんが、大層な自信を持って売り込んできたホテルだ。素晴らしいもてなしを、期待している」
まるで俺を試すように、大臣はニヤリと笑った。
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