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歌詠鳥(うたよみどり)1 side春海
「…いや、いいよ。ホントにちょっと忙しいし…うん。悪いけど。…おう。じゃあ、また」
通話を終わらせると、ふわりとボディーソープに混じった花の香りがして。
「電話、和哉?」
背中にぴたりとくっついてきた楓が、耳元で囁いた。
「うん」
「また、飲みの誘い?」
「そう。あいつも、案外しつこいよな」
腰に回ってきた手に、自分の手を重ねて。
そのままくるりと後ろを向くと、風呂上がりで上気した頬に、触れるだけのキスを落とす。
「行ってくればいいのに」
「無理だよ。俺の、バカ正直な性格、知ってるでしょ?絶対、キョドっちゃうもん」
「ふふふ…確かに」
軽やかに笑って。
今度は楓の方から、しっとりと唇を重ねてきた。
啄むように何回かキスを続けると、あっという間に身体が熱くなってきて。
慌てて、その薄い身体を押し戻す。
「…もう。煽んないでってば」
「なんで?いいじゃん。俺はいいって言ってんのに」
「ダメ。言ったでしょ?本当に俺のことが好きになってくれたら、その時はちゃんと恋人としてエッチしたいって」
「俺は、春くんが好きだよ?春くんとするキス、気持ちいいし」
「…好きの種類が違うでしょ」
「俺にとっては、大差ないのに。ホント、変なとこ堅物 なんだから…」
ふふふって軽やかに笑って。
楓は俺の腕からするりと抜け出ると、ピアノの前に座った。
すぐに、その足取りのような軽やかなメロディーが部屋中に溢れ出す。
「明日から、またしばらく治験で病院に缶詰めだから。今日は早めに寝た方がいいよ?それに、髪は早く乾かさないと風邪引くでしょ」
長く伸びた、濡れたままの髪が揺れる背中に、声をかけた。
「んー?うん、わかってるけど…今、春くんとキスしてたら、いい旋律が浮かんじゃったから」
楓は楽しそうにクスクス笑いながら、真っ白なスコアに次々に音符を書いていく。
「あー、ここは違うな…やっぱ、こうかな…」
一人でぶつぶつ言いながら、鍵盤を弾いてはスコアに書き写すのを繰り返す楓の背中を見つめていると、つい溜め息が漏れた。
そりゃあさ、俺だって君を抱きたいって思うけど…
きっと強引に迫れば、君は身体を開いてくれるだろうけど…
そうしたらまた、君は苦しみを一つ背負っちゃうでしょう?
だって俺、わかってるんだ
俺が君を抱かないことに、君が内心ホッとしてること
こんなことで君の過去が消えてなくなるわけじゃないけど
ほんの少しでいいから君の心の傷が塞がればいいなと思う
いつか
あいつの元へ帰る日までに
「…って、あのバカ。なにモタモタしてんだよ…」
もう一つ、溜め息を吐いて。
次々に溢れ出る新しいメロディーを聴きながら、俺は少し離れたダイニングテーブルに座り、ノートパソコンを開く。
楓の邪魔にならないように、イヤホンをつけ。
ファイルから、5日前に銀座のデパートで楓がピアノを演奏した動画を取り出した。
この日は8曲弾いたんだっけな…
あの曲は、一番最後か…
それをコピーし、原本はまたファイルへとしまって。
編集作業へと、取りかかる。
途中の演奏は全て削除して、最初の楓の登場シーンと、最後の曲をくっつけて。
不自然じゃないか最終チェックしてから、いつもの動画サイトへアップした。
「…なにやってんの?」
一仕事終えてイヤホンを外すと、いつの間にかパソコンの向こう側に楓が立っていて。
「う、わぁっ…」
びっくりした俺は、慌ててパソコンを閉じる。
「い、いや、別に…」
「ふーん…」
楓はじろりと俺を睨んで。
ふんっと勢いよく顔を背けた。
「エッチな動画、見てたんでしょ」
「ち、違うよっ!」
「春くんは、俺は抱きたくないけど、エッチな動画は好きなんだ?」
「違うってば!」
「…じゃあ、なに見てニヤニヤしてたの?」
「そ、それは…」
口ごもると、子どもみたいに頬を膨らませて。
「わかった。俺はもう寝るから、春くんはエロサイトのお姉さんに思う存分抜いてもらってくださいっ!」
ズカズカと足音を立てて、自分の部屋へと歩いていく。
「ちょっ…なに、その言い方!?」
「春くんのムッツリスケベ!エロおやじ!」
怒ったように叫んで。
楓は勢いよくドアを閉めると、鍵まで掛けてしまった。
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