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歌詠鳥(うたよみどり)6 side春海

「ごめんね、春くん」 「謝んなくてもいいってば。仕方ないことだし。楓が責任感じることじゃないから」 宥めても、楓はしゅんと肩を落としたままで。 俺はそっとその肩を抱き締めてやるしかなかった。 あの後、数日空けてもうひとつの治験をやる予定だったんだけど、楓が高熱を出してしまって。 結局、楓の体調が戻ってからということで、熱が下がった後、一旦自宅へ戻ることになった。 『…ヒメ、もう限界かもな』 家に戻るまえ、亮一がこっそり耳打ちしてきた会話が、ずっと頭のなかでぐるぐる回ってる。 『誉先生に聞いた話、教えてやったろ?あいつが九条の家を出てから、どんな環境に置かれてたのか。あいつが無理やり身体売らされてるときに使われてた発情誘発剤は、闇組織でしか取引されない、俺らが使ってるのとは段違いの強いやつだった。それを毎日どころじゃない、一日に何回も客に買われる度に打たれてたらしい。あいつが抑制剤の効きにくい身体になったのは、恐らくその薬の後遺症だろう。藤沢のデータバンクに残ってた十数年前の九条楓のデータをこっそり覗いたけど、その時点ではある程度の抑制剤の効果が見られてたんだ。あいつは元々、特殊体質なんかじゃなかったんだよ。それだけ大きなダメージをその身体に既に食らってたのに、加えてこの二年、何度も無理やりヒートを起こさせて、相当な負荷をヒメの身体にかけてる。おまえもわかってると思うけど、最近誘発剤を打つとヒメのホルモン値が異常なほど上がるだろう?強めの抑制剤を打ってる俺でも、あいつのフェロモンに引き摺られてうっかりバーストしそうになる。そこへきて、この高熱だ。これは、ヒメの身体が悲鳴をあげてる証拠だ。このまま治験を続けると、ヒメの寿命を縮めるどころか、永遠に失ってしまうかもしれないんだぞ?おまえ、それでいいのかよ?』 いいわけなんか、ない 10年かけてようやく巡り会えたんだ もう二度と失えない だけど…… 「ねぇ、楓…」 「ん?」 「少しの間でいいからさ…治験、止めない?」 なるべく感情を刺激しないように、穏やかに聞こえる声で言ったつもりだったけど。 楓は弾かれたように顔を上げ、泣きそうに頬を歪めた。 「なんで?もう俺、用無しになったってこと?」 「違う、そうじゃなくてさ…」 「じゃあなんで?なんでそんなこと言うの?」 「このままじゃ、楓の身体が保たないかもしれない…」 「そんなの、どうだっていいよっ…俺の身体なんてっ…」 返ってくるだろうと思ってた言葉が、違うことなく返ってきたことに、胸が苦しくなる。 「お願い、春くん…身体なんてボロボロになったってかまわないから…俺から生きる意味を取り上げないで。この薬が完成して、たくさんのΩが救われたら。俺がこの世に生まれてきた意味が、ようやくできるんだから…」 「楓…」 「お願い…」 縋るように抱きついてきた身体を、そっと包み込んだ。 そんなのいらないんだって 楓が生きてここにいる それだけで俺にとってはすごくすごく意味のあることなんだって そう言ったって βである俺の言葉は君には決して届かない 限りなく恋人に近い でもただの友人でしかない俺は 君を止める術を持たない 俺に出来ることといったら 「…わかった。…ごめん、約束だもんね。楓のやりたいようにさせてあげるって」 ただ 君の望むことを望むようにさせてあげるだけ 君がひとりで寂しくないように 君を一人で泣かせないために 傍にいてあげることだけなんだ 君を止められるのは きっとこの世にたったひとりだけ… 「…春くん…ごめんね…」 「楓が謝ることなんて、なにもないよ?これは、俺が決めたことなんだから。俺が、俺だけの意志で」 だからわかってる 俺が間違ってることなんて それでも俺は 「…大好きだよ、春くん」 愛する君のその言葉をもらえるのなら 地獄に堕ちてもいい ずっと そう思っていると思ってた でも…… 本当は、俺は………

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