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歌詠鳥(うたよみどり)7 side蓮

そのピアノは、銀座の最近出来たデパートの、三階のエレベーター脇のロビーに置かれていた。 「あの、すみません」 無人のそれを確認し、一階のインフォメーションカウンターへと引き返す。 「はい。なにかご用でしょうか?」 「この動画の場所は、こちらで間違いないですか?」 あの時、従業員たちが見ていた動画を見せると。 「はい、間違いございません」 カウンターの女性は、笑顔で頷いた。 「この、ピアノを弾いている方は、こちらのスタッフの方でしょうか?」 「ああ、ヒメさんですね。いいえ、違います。このピアノはイベントの時以外は一般に解放しているものですので、時々弾きにいらっしゃる方ですよ」 「その方は、いついらっしゃるんですか?」 「さぁ…特に決まってはいないようですけど…」 「…そうですか。すみません、ありがとうございます」 もしかして、このデパートで働いているんじゃないかと抱いてきた微かな期待を打ち砕かれ。 失望感と共に、またピアノの場所へと足を運ぶ。 弾く者のいないピアノは、取り残されたようにポツンとその場に佇んでいた。 「…楓…おまえ、なんだよな…?」 あの動画を見た瞬間は 間違いないと確信した でも 俺が楓の音を聞いていたのはもう10年以上前のことで おまえの音が変わってないとは言いきれない あの探偵の話が本当なら もしかしたらおまえは… 「おまえ、なんだよな…?」 神に祈るような気持ちで、もう一度呟くと。 「あー!きょうもいない!」 後ろで、可愛らしい声が聞こえた。 振り向いたら、そこには小さい女の子と母親が立っている。 「ママー、ヒメちゃん、つぎはいつくるの?」 「さぁねぇ。ママにもわからないわ。お店の人も、わからないって言ってたでしょう?」 「やだー!次はプリティアの曲弾いてくれるって言ったもん!みーたん、ヒメちゃんのピアノでプリティアブラックにへんしんするんだもん!」 「そんなこと言ったって…」 「あの…」 思わず声を掛けてしまった。 「プリティアっていうのは…?」 突然話しかけられた母親は、びっくりしたように目を真ん丸にしたけど。 「プリティアはかっこよくてつよいんだよ!みーたんは、ブラックがすきだけど、あいちゃんはホワイトがすきなんだって!」 「ああ、すみません。テレビアニメの話で…いつもこちらでピアノを弾いている方が、その主題歌を今度弾いてくれるって、この子に約束してくださったものですから」 女の子が先に俺の質問に答えてしまったからか、優しげな微笑みを湛えながら教えてくれる。 「その方は、ヒメさんですか?」 「ええ。そうです」 アニメの主題歌… そういえば、楓は昔、春海にねだられてヒーローものの主題歌を即興で弾いてみせたことがあった。 楓はクラシックが一番だと思ってたのに、弾いてくれたそれはすごくかっこよくて。 俺も春海も興奮して、何度もせがんだのを覚えている。 やっぱり、ヒメはおまえなんだよな……? 「もしかして、あなたもなにかリクエストを?」 「いえ。僕は動画サイトで見て…どうしても、会いたくて来たんですけど…」 「お兄ちゃんも、ヒメちゃんのこと、大好きなの?」 無垢な、天使のような瞳で訊ねられて。 「うん。とっても大好きで、とっても大切な人なんだ」 するりと、言葉が溢れ落ちた。

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