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歌詠鳥(うたよみどり)10 side春海

「ヒメちゃん、もっかいひいてー!」 「こら、美弥。いい加減にしなさい」 「ごめんね、みーたん。今日はもう終わりなんだ」 「えーっ!やだぁ!」 「ヒメちゃんだって用事があるんだから、そんなワガママ言っちゃだめでしょ」  一時間ほどの演奏が終わって帰ろうとする楓を、あの女の子が引き留めていた。 「やだやだっ!もっとヒメちゃんのピアノ、聞きたい!」 「ごめんね」 「やだぁー!」 足元にしがみつかれて、楓は困りきった顔で俺へと助けを求める視線を投げる。 このピアノは時間を区切って借りてるわけじゃないから、俺としてはあと1、2曲くらいいいんじゃないかって思うんだけど。 そこは、楓の中でなにかしらの線引きがあるようで。 今日はもう、終わりらしい。 こうと決めたら、なかなかそれを曲げることがない案外頑固な性格はよく知っているから、俺は仕方なく女の子の肩をちょんと指でつつくと、涙目で振り向いたその子にビデオカメラを掲げてみせた。 「じゃあ、僕が撮ったヒメちゃんの映像、コピーしてあげるからさ。それじゃダメかな?」 「こぴー?」 「そう。ヒメちゃんのDVD、作ってあげる。みーたんのおうちのテレビで、ヒメちゃん見られるよ?」 「ほんと!?」 「ちょっと春くん!そんなの作んないでよっ」 恥ずかしいのか、頬をほんのり赤くして睨んでる楓は無視して、女の子と指切りで約束すると。 「ありがと、はるくん!」 女の子は満足そうに笑って、ようやく楓から離れた。 「…嘘でしょ…」 「まぁまぁ、いいじゃん。世の中に出回るわけじゃないしさ」 「…なら、いいけど…」 本当はもうとっくに世の中に出回ってるんだけど、そうとは知らない楓は不満そうにしながらも、渋々納得してくれて。 「じゃあ、帰ろっか。みーたん、今度作って持ってくるからね」 その肩に腕を回して、美弥ちゃんに手を振ろうとしたとき。 「あの…ヒメさん、ですよね?」 後ろから声をかけられた。 振り向くと、大きな薔薇の花束を持った人が立っている。 「はい。そうですけど…」 「青山フラワーショップの者です。こちらを、ヒメさん宛にお届けして欲しいとご依頼があってきました」 デパートの一階にある花屋のエプロンを着けたその人が、花束を楓へと差し出した。 「ありがとう。でも、どなたから?」 戸惑いながらも、両手いっぱいの大きな花束を受け取った楓が訊ねるけど。 「すみません。僕は、お渡ししてくるようにと言われてるだけなので…失礼します」 申し訳なさそうにそれだけ言うと、店員はそそくさと帰っていった。 「…メッセージカードとか、ないの?」 「…うん。特に、なにも…」 送り主がわかるものは、なにも付いていなくて。 「誰だろ?ヒメの、熱烈なファンかな?」 「さぁ…」 楓の眉が、少し不快感を顕に寄せられたとき。 「それ、きっとあのおにいさんだよ!」 美弥ちゃんが、突然そう叫んだ。 「あの、おにいさん…?」 「うん。とってもいいにおいがするの。パパもいいにおいだけど、おにいさんはもっといいにおい!」 「におい…?」 「美弥!勝手なこと言っちゃ…」 「おにいさん、ヒメちゃんとつがいになりたいんだって!だから、いいこでまってるんだって!」 屈託のない、太陽のような明るい笑顔とともに飛び出した言葉に。 楓の表情が、凍りついた。

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