224 / 566
歌詠鳥(うたよみどり)19 side蓮
「あと、来月の結婚式の予約状況、確認しておいてくださいね」
「ああ」
「…まだ、怒ってんの」
目を合わせずに返事をすると、どこか呆れたような声が返ってくる。
「別に」
「…俺は、謝んないよ」
「そんな必要ない」
ノートパソコンを閉じると、バタンと思ったよりも派手な音がした。
和哉の眉間に、深い皺が刻まれる。
「…俺のことがムカつくなら、そう言えばいいじゃん」
「違うって言ってるだろ」
怒ってるのは和哉にじゃない
自分自身に対してだ
和哉がなんと言おうと
春海がなんと言おうと
捕まえて
抱き締めて
今でもおまえだけを愛していると
もう二度と離さないと
そう言わなければならなかった
だけど
和哉が現れた瞬間のおまえの怯えた瞳に
春海へと向けた縋るような甘えた眼差しに
うなじを隠すように伸ばされた髪に
おまえからなんのフェロモンも感じられなかった事実に
届きそうだった手を躊躇してしまった
ようやく見つけた
俺だけの番
どこにいようと必ずおまえを取り戻すと
固く心に誓ったはずだったのに
でも……
おまえはもしかしたら、もう………
「くそっ…」
力任せに机を拳で叩くと。
タイミングよく、側にあった内線電話が着信を告げる。
「はい」
『あ、す、すみませんっ…』
ワンコールもならないうちに受話器を持ち上げ、応答すると。
向こう側から、慌てたような謝罪の言葉が返ってきた。
…ダメだ
こんなんじゃ、仕事にならない
「…いや、こちらこそすまない。なんだ?」
気持ちを沈めるために、ゆっくりと息を吐き出して。
右手だけで、和哉に部屋を出るように指示する。
和哉の顔を見てると
また苛立ってしまいそうだったから
『あ、は、はい。お客様から苦情の電話が入っているのですが…どうしても、総支配人に繋げと仰られてて…』
「苦情…?」
仕方なさそうに肩を竦めながら出ていく背中を見送って、窓の外へと視線を向けながら問い返した。
外は、どんよりとした厚い雲に覆われていて。
今にも雨が降りだしそうだ。
『はい。でも、それがよくわからないんです。どういったことか聞き返しても、詳しいことは総支配人と直接話す、繋げと、その一点張りで…。何度もお断りしても、しつこく掛かってくるので、こちらでは困り果てておりまして…』
恐縮しきった声音に、もう一度息を吐く。
「わかった。こちらで対応する。すまなかった」
『いえ。申し訳ありません。よろしくお願いいたします』
プツリと一旦通話が途切れ。
ワンコールのあと再び繋がった。
「お待たせ致しました。総支配人の九条です。本日は、どういった御用件でしょうか?」
なるべく温和に聞こえるように、少しトーンの高い声で応対すると。
『…蓮』
向こう側から、ひどく硬い声が聞こえてきた。
どく、と。
心臓が嫌な音を立てる。
「…春海…」
『悪いな。でも、こうでもしなきゃ、おまえに直で連絡入れられないだろ』
まさかそっちから連絡してくるなんて、思ってもいなかった。
「…なんの用だ」
自然、俺の声も低くなる。
『…おまえさ…もう、いいの?』
宣戦布告でもしてくるのかと身構えたら。
『このくらいのことで、楓をもう諦めるんだ?あの頃みたいに、仕方ないって逃げるんだ?』
静かな、でも冷たい声で、そう言われて。
憎悪にも似た怒りが、沸き上がってきた。
「諦めるって…楓は、もうっ…」
『知りたくないの?』
感情のままに怒鳴りそうになった俺を、春海の落ち着いた声が遮る。
『おまえの知らない間の楓のこと…知りたくないの?』
「なに…?」
『教えてやるよ。5日後の20:00、おまえのホテルの最上階のバーの予約を、俺の名前で入れてある。知りたきゃ、そこに来いよ。ああ、念のために俺の電話だけ言っとく。080……』
「は?なんだよ、いきなりっ…」
『…来ないなら、今度こそ本当に楓のこと拐 うから』
一方的にそう告げて。
春海は通話を強制的に終わらせた。
「…なんなんだよ…」
ともだちにシェアしよう!