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歌詠鳥(うたよみどり)20 side蓮
春海に苛ついてはいたが、行かないという選択肢はなかった。
なぜ春海が俺の知らない楓のことを知っているのか。
なぜ楓からはなんのフェロモンも感じなかったのか。
楓が髪を伸ばしている理由…それは、うなじの噛み跡を隠すためなんじゃないのか。
春海は今、楓と一緒に暮らしてると言った。
だったら、あいつを番にしたのは誰なのか。
聞きたいことは山のようにある。
「まだ、残業ですか?」
「あぁ」
「なにかお手伝いしましょうか?」
「いや、先に帰っていい」
「…わかりました。後で、部屋に行ってもいい?」
「ダメだ。おまえとの関係は、とっくに解消しただろ。今の俺とおまえは仕事上のパートナー、それ以外の何物でもない。何回、同じことを言わせるんだ」
「…あいつは、もう誰かの番になってんでしょ?蓮さん、あいつのフェロモン感じなかったんでしょ!?だったらっ…」
「それでも。俺の運命は楓だけだ。たとえもう誰かの番だとしても、俺の番はあいつしかいない。俺はもう二度と、あいつ以外の人間をこの手に抱くことはしない」
あの時
おまえを守ることも出来なかった俺に
これは与えられた罰なんだ
だったら俺は
それを甘んじて受けなくてはならない
楓が俺が知らない誰かのものになっていたとしても
俺の番は永遠に楓だけだ
「っ…俺は、諦めないっ…運命なんて、ひっくり返してやるからっ!」
吐き捨てるように叫んで、和哉はくるりと踵を返し、部屋を出ていく。
バタンと派手な音を立てて閉まったドアに、ひとつ息を吐き。
時計を確認した。
約束の時間までは、あと30分。
『おまえの知らない楓のこと、知りたくないの?』
電話で聞いた春海の硬い声が、何度もリフレインする。
本当は、少し怖い
でも俺は全てを知らなければならない
おまえの運命の片割れとして
「…行くか」
時間には少し早かったが、ここにいても仕事になんかなりそうになくて。
先に飲んで、少し気分を落ち着かせようと、指定された最上階のバーへ向かった。
「総支配人、お疲れさまです。なにか?」
レジで作業をしていたバーの店長が、俺の姿を見て少し身構える。
「いや、友人と待ち合わせなんだ。20時に藤沢様で予約が入っているはずだが?」
「えっと…はい。入ってますね。先に席へご案内しますか?」
「頼む。…あ、予約は二人か?」
不意に思い立って、訊ねた。
もしかしたら…
「ええ。二名様で承ってます。人数の変更が?」
「…いや、大丈夫だ」
淡い期待は、あっさりと消されてしまって。
軽く落胆する心を抱えながら、案内された席へと座る。
窓際の、一番景色のよく見えるボックス席。
眼下に広がるのは、無数の色とりどりの光の洪水。
おまえも今、この街のどこかにいるんだよな…
先日おまえと会った、銀座の方向を無意識に探しながら、運ばれてきたジントニックを口に運んでいると。
すぐ横で、人の気配がして。
顔を上げた瞬間、息を飲んだ。
そこに立っていたのは、思ってた人物ではなく。
「…こんばんは、蓮くん」
会いたいと願った、その人だった。
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