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雲雀(ひばり)7 side楓

『君から送られてきたデータは、ヒートの時に匹敵するものだよ?』 「…でも、ヒートじゃないです」 身体は確かにヒートの時の熱さに近かった でも意識ははっきりしてて 蓮くんの動き 表情 息遣い 全部覚えてる 『…確かに、その後4時間で治まってるもんな…今は、またゼロに戻ってるし…治験のときの、疑似ヒートに近い感じなのかな…うーん…やっぱり、今の段階じゃ解明されてないことだらけだな…これは、研究のしがいがあるね。ってことでヒメちゃん、後日ちゃんと運命の彼を僕のところに連れてきてね?』 「馬路さん、それは…」 思わず異を唱えようとすると。 途端、不機嫌なオーラがピシリと伝わってくる。 『まさか、嫌だなんて言わないよね?僕は、君がどうしてもっていうから、その要望に答えて規定量の10倍の薬を用意してあげたんだよ!?その僕の好意を、君は無下にするわけ!?このことが醍醐先生や藤沢くんにバレたら、僕はクビかもしれないんだよ!?』 「ごめんなさい、馬路さん。わかってます」 興奮気味の彼の大きな声が、辺りに漏れて。 蓮くんが起きてしまうんじゃないかと、慌ててそれを遮る。 『…わかってんなら、いいけど。君だって、その彼と会うのは藤沢くんには内緒にしてんだろ?お互い、バレちゃまずいことしてるわけだからさ。その辺、ちゃんとわきまえてよね』 「…はい。ごめんなさい」 『じゃあ、今日は楽しいセックスしまくって疲れてるんだろうから、もう休んだら?また詳しいことは後日ね』 「はい。おやすみなさい」 言葉の途中で、電話は切られて。 「…ごめんなさい、馬路さん。嘘ついて、ごめんなさい」 俺は静かになったスマホに向かって、頭を下げた。 部屋へ戻ると、蓮くんは相変わらず健やかな寝息を立てていて。 ほっと息を吐く。 音を立てないように、ベッドの端にそっと座り。 大天使ミカエルのように神々しい、綺麗な寝顔を見つめた。 「ごめんね…」 嬉しかったよ… 駄目なのに 本当は 綺麗な蓮くんが汚い俺に触れちゃいけなかったのに どうしても、拒否できなかった 愛してるって言ってくれた 昔よりもっと、愛してるって 誰よりも愛してるって言ってくれた それだけで もう十分 こんな俺にはもったいないくらいの大きな大きな幸せを 君がくれた 俺がいなくなっても 君のそばには和哉がいる 和哉がどんなに君のことを好きだったか 俺は知ってる 俺なんかよりずっと 和哉は君を幸せにしてくれる だから 俺はもう行くね 「……ありがとう……」 一度ベッドを離れ、部屋に備え付けられた冷蔵庫から水を取り出し。 再びベッドへ戻ると、さっきスマホと一緒に鞄から取り出した睡眠薬と水を口に含んで。 眠る蓮くんの唇に唇を重ね、それをゆっくりと流し込んだ。 「んっ…かえ…で…?」 こくん、と喉を鳴らして飲み込んだ直後、一瞬だけ目を覚ました蓮くんの目蓋をそっと手で押さえると。 すぐにまた、深い眠りに落ちていく。 「…ごめんね…蓮くん…」 規則的な呼吸音を聞きながら、ブレスレットにそっと触れた。 この石が この先もずっと君を守ってくれますように… そう、願いながら。 このまま側にいたい気持ちを無理やり心の奥に押し込め、ベッドを離れる。 脱ぎ散らかした服を拾い集めていると、ふと蓮くんが着ていたジャケットが目に入った。 震える手でそれを拾い、顔に押し当てると、蓮くんの匂いがする。 身に纏うと、蓮くんに抱き締められてるような気がして。 全身が、幸せで満たされた。 「…これだけ、もらっていくね。ごめん」 服を着終わって、春くんにだけメッセージを送って。 スマホの電源を落とし、ピアスを外して鞄の奥へしまう。 代わりに財布を取り出し、必要な分だけのお金をポケットに入れると。 ふと、12年前のあの日のことを思い出した。 あの時はただ 龍から逃げることしか考えてなくて お金を持っていくことも思い付かなかったっけ もしあの時電車に乗るお金があったら… せんないことを考えて。 自嘲する溜め息が、つい出てしまった。 鉛の付いたように重い足を、無理やり動かしてドアへと向かい。 でも、後ろ髪を引かれる思いで、もう一度だけと振り向くと。 仰向けに眠っていたはずの蓮くんは、まるで俺を引き留めるようにこちらを向き、手を伸ばした体勢で眠っていて。 「…っ…蓮くん、ごめんっ…」 目の奥が熱くなったのを感じたのと同時に、堪える間もなく涙がパタパタと床に落ちた。 「ごめんね…愛してるよ……さよなら……」 溢れ落ちる涙を止めることも出来ないまま、俺は逃げるように部屋を飛び出した。

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