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雲雀(ひばり)8 side蓮

誰かに呼ばれたような気がして。 ひどく重い目蓋を抉じ開けると、朝の光に照らされた真っ白なシーツが目に入った。 「楓…?」 身体を起こそうとすると、ひどい頭痛を覚えて。 頭を抱えながら、辺りを見渡す。 部屋には俺以外の気配はなくて。 軽い落胆に、深い吐息が漏れた。 傍らのシーツを手のひらでなぞっても、ただ冷たい感触があるだけで。 予感はしていた きっとおまえは俺を置いていなくなるだろうと 「…楓…」 おまえの匂い おまえの声 おまえの肌の温もり ちゃんとこの手に抱いたはずなのに 全て砂のように零れていった 最初からそんなものなかったみたいに 「…どうして…」 愛してると言ったじゃないか 狂おしいほどの熱に包まれながら 何度も俺の名前を呼んで 愛してると ずっと俺だけを思っていたと あれは幻だったのか 俺は一夜の夢を見ていたんだろうか 「どうしてっ…」 夢の中でもずっと おまえの声が聞こえていた気がする ごめんねと 蓮くん、ごめんなさいと 夢の中のおまえは 何度も何度も謝っていた その声が やけにリアルに耳に残っている いや… あれは現実なのか…? おまえはなにを必死に謝っていたんだろう 俺は なにかとても大切なことを見落としてないか…? あの庭で おまえはなにか言いたげな顔をしていた 苦しさと悲しさを滲ませた眼差しで あの時俺は、自分の気持ちを抱えるのに精一杯で おまえの言おうとしていることに耳を傾ける余裕なんてなくて おまえはなんのために俺に会いに来た…? もしかしておまえは なにかとても大切なことを俺に伝えようとしていたんじゃないのか 俺はちゃんと おまえの話を聞かなきゃいけなかったんじゃないのか 鉛の付いたような重い身体を引き摺るように、ベッドを降り。 散らばっていた服をかき集めて、気付いた。 スーツのジャケットが、なくなっていることに 慌てて部屋中を見渡してみれば。 ソファの影に、隠すように置いてある楓の鞄を見つけた。 中を漁ると、財布も入ったままで。 電源の切られたスマホと、左耳についていたはずの黒いピアスまで出てきた。 「なんで…」 うっかり忘れた…んじゃない わざと置いていったんだ そう結論付けた途端、冷たいものが背筋を落ちていく。 こんな… 自分の痕跡を消すようなこと… どうして…? 『ごめんね』 また 耳鳴りのように声が聞こえる そうして脳裏に浮かんだのは 霞がかったように朧気な視界のなかで 子どもが泣き出すまえのような顔をしたおまえ 「っ…くそっ…!」 当てもなく駆け出そうとした瞬間、自分の携帯の着信音が聞こえた。 踵を返し、それを手に取ると。 表示されていたのは、春海の新しく登録し直した番号で。 「春海っ!?楓は、そっちに帰ってるか!?」 なにかを話しだす前に、怒鳴るようにして訊ねると。 『…楓、いないの…?』 電話の向こうからは、微かに震える声。 「いない。起きたらもう、いなかった。鞄も財布も携帯も置きっぱなしなんだ!おまえのとこに、帰ったんじゃないのか!?」 『…蓮…どうしよう…』 今にも、泣き出しそうな、声。 『楓から、今までありがとうってメッセージがきて…てっきりおまえのとこに行くんだろうって、だから荷物送ってやろうって楓の部屋見たら…空っぽなんだ…荷物、いつのまにか全部処分してあって…』 「なんだって!?」 『財布も携帯もって…それ、あの時と同じ…』 「あの時?」 『…龍に無理やり中絶させられて、姿を消したときと同じ…俺たちはまた、同じことを繰り返すのかよっ…』 春海の慟哭に。 頭を鈍器で殴られたような衝撃が、駆け抜けていった。

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