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猿喰鷲(さるくいわし)9 side蓮
「…αとは勇敢なる騎士であらなければならない」
「え?」
唐突に、大臣が呟いた。
「世間一般の常識では、αはΩの支配者だ。だが、現実は違う。我々は、Ωという女王に仕える僕 なんだよ。愛するΩを守り、慈しみ。愛を請うて、その愛を得るために戦う。我々αはさながら、Ωの愛を求めて彷徨う旅人でもある」
「…面白い考えですね。旅人で、僕 で、騎士なんですか?」
「君は、違うのか?」
「…いえ…そうかもしれません」
楓のためなら
俺は何者にでもなれるだろう
あの美しい天使を
もう一度この手に抱くためなら
「つまり、僕と君はまだ旅の途中というわけだ」
「あなたと違って、俺の旅の終着点は決まってますがね」
「む…それは、愛する人に逃げられた、僕に対する当て付けかね」
常識とはかけ離れた持論を展開する大臣に、同意しつつもほんの少しの反論をすると、子どもみたいに頬を膨らませて。
その屈強な佇まいに似合わぬ反応に、思わず笑いが込み上げた。
「笑うとは、ひどいな」
「すみません。気に障りましたか?」
「いや。気に入った。君のことを、とても。そこで提案なんだが、僕の秘書にならないか?」
唐突な誘いに、びっくりすると。
大臣は俺の反応に満足そうに目を細めて、ウイスキーグラスを傾ける。
「魅力的なお話ですが、遠慮しておきます。今は、このホテルに夢中ですので」
「今すぐに、の話じゃない。君ほどの男が、ホテル一個で満足できるわけがないだろう?世界を相手に力を試したくなったら、その時は僕のところへ来たまえ」
「俺は、政治家には向いてませんよ?万人の幸せよりも、目の前にいる愛する人の幸せだけを願う男ですし」
「だとしたら、君の守備範囲は相当広そうだ。じゃなければ、あんなもの、作るはずがないだろう?」
言いながら、この部屋からは森にしか見えないΩ専用棟の場所へと、顎をしゃくった。
「さぁ…とにかく、あなたの秘書にはなれません。友人になら、なれるかもしれませんけど」
普通、10以上歳上の男にこんなことを言ったら気分を害するだろうが、この人ならなんとなく許される気がして、そのセリフを口にすると。
大臣は、ニヤリと嬉しそうに笑う。
「僕はとっくに友人のつもりだがね。…蓮くん」
その呼び方に。
思わず息を呑んだ。
『蓮くん』
俺をそう呼ぶのは、この世界にたったひとりだけ
……楓……
想いが、身体から溢れ出しそうになって。
きつく、拳を握った。
大臣は、そんな俺を訝しがることもなく、凪いだ海のような穏やかな眼差しで見つめている。
「君も、僕のことは『伊織さん』と呼んでくれたまえ」
「え?伊織さん、ですか?」
「そうだ。そう呼ばないと、絶交だ」
急に、子どもみたいなことを言われて。
つい、吹き出してしまった。
「絶交って…初めて言われました」
「どうする?僕と絶交するのか?」
「いえ…これからもよろしくお願いします。伊織さん」
笑いながら、手を差し出すと。
大きくてゴツい手が、握り返してきた。
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