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雲雀(ひばり)17 side蓮

「複雑性PTSD…」 「そう。楓が今目覚めない理由は、恐らくそっちが原因だと思う」 あまり聞き慣れない言葉に、全員が言葉を失くした。 「俺も精神科は専門外だから、確定診断は出来ないけど…俺のアメリカでの友人に、Ω心理学のスペシャリストがいてね。そいつに相談したら、恐らくそうだろうってことだった。誉先生も、同じ見解だ」 那智さんが、がばっと顔を上げ、誉さんを見つめると。 誉さんは眉を下げ、小さく頷く。 「それで、蓮くんに確認したいんだけど…あいつがΩだって、自分で自覚したのは17歳で初めてヒートがきた時なんだよな?」 「はい」 「それまでは、βだと思って生きてたよな?自分で疑ったことはなかったのかな?楓がΩなんだったら、楓を生んだのもΩなんだろう?Ωが生む子どもはαかΩで、βである確率は殆どない。今やそれは、社会常識といっても過言ではないくらい、誰もが知ってる話だ」 「…たぶん、あったとは思います。でも、楓を生んだ人はα同士から生まれた突然変異のようなΩでしたから…そういう可能性がゼロじゃないことは、楓自身が一番よく知っていた。それに…」 「それに?」 「…βだと、信じたかったのかもしれません。楓の父親は、自殺しているんです。理由は定かではないんですが、生活に困窮していたのは事実で。Ωであったから死を選んだんじゃないかと、そう思っていたと思います」 「…Ωに悪いイメージしかなかったのに、自分がΩだったらショックだよな」 「いや、それは…。あいつは、父親のことが大好きだったから…」 醍醐先生は、じっと俺の顔を伺うように見つめて。 小さく息を吐き出した。 「質問を変えよう。蓮くんが楓とヒートを過ごしたのは何回?」 「…二回です」 「その時の楓は、どんな様子だった?幸せそうだった?」 そう訊ねられて。 記憶の底から浮かんできたのは。 「…ひどく、苦しそうでした…最初のヒートの時に、泣き叫んで…どうして黙っていたのかと…」 耳の奥にこびりついて離れないあの日の慟哭が また聞こえる それが あの江ノ島で聞いた楓の声とぴたりと重なった 「…同じだ…あの時と…」 「え?」 「12年前と同じ…」 楓の心はまだ 17歳のあの日から止まったままなんだ 「…それが、一番の原因だろう」 俺の言葉に、醍醐先生は硬い表情で頷く。 「楓の場合、合意なしに子どもを堕ろされたことや、家を出てからの環境など、複合的な要因が症状を重くしているけど、その根底にあるのは、自分がΩであることを受け入れていないことだと思う」 「受け入れてないって…あいつは10年以上Ωとして生きてきたんだぞ?おまえたちの治験だって、自分からやりたいって言ったんだろ?」 那智さんが言葉を挟むと、醍醐先生が首を振った。 「頭で理解しているのと、納得しているのは違う。心の深い部分では、自分がΩであることを未だに否定しているはずだ。それは恐らく、楓が初めてヒートを起こしてから今まで、Ωとしての幸福感を得られていないことにある。本来であれば、運命の番である蓮くんと過ごすヒートは幸福感に満ちているはずなのに、ただ混乱の中でそれを迎えてしまった。その後も、Ωであるが故の苦しみや悲しみだけを感じることしか出来ない現実を突きつけられて、本来の自分を受け入れることが出来ないでいるんだ」 「…じゃあ、どうすればいいんですか…?どうしたら、楓は自分がΩだということを受け入れられるんですか?」 「Ωとしての幸せを、楓自身が感じるしかない」 真剣な眼差しが、まっすぐに俺を貫いた。 「αに愛される、Ωだけの幸せを。そして、それを与えてやれるのは、蓮くん。君だけだよ」

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