260 / 566
菊戴(キクイタダキ)9 side志摩
数日後。
まだ営業開始には程遠い、お昼過ぎの静かなお店のソファに、僕はガチガチに緊張して座ってた。
「大丈夫、か?やっぱ、俺から全部話そうか?」
横に座った那智さんが、心配そうに僕の顔を覗き込む。
「だい、じょぶ、です」
「いや、でもおまえ、声震えてるし…」
「でも、自分の、ことだから。ちゃんと、自分の口から、伝え、ないと」
これから僕はこの子のお母さんになるんだもん
いくら那智さんや誉先生が守ってくれるって言ったって
甘えてばかりじゃいられない
もっと強くならないと
「だい、じょうぶ、です。僕は、この子の、親、だから…この子の、ことは、自分で、言います」
お腹に手を当てて、まだ小さなその命の脈動を思う。
僕に勇気をちょうだいね…
キミのこと
守り通すことが出来るように
「そっか…わかった。おまえは、事実だけを伝えりゃいい。後は、俺が話をつけるから」
那智さんはまだ心配そうだったけど、頷いてくれて。
その時、ドアがガチャンと開く音がした。
思わず立ち上がって、ぎゅっと汗びっしょりの手を握り締める。
「わざわざお呼び立てして、すみません」
「…いえ」
現れた龍さんは、那智さんに軽く頭を下げたあと、僕の顔を見て眉をひそめ。
僅かに視線を外すと、こちらへと歩いてきた。
そのまま僕と那智さんの向かい側に腰を下ろすと、ふっと息を吐き、その長い指でネクタイを軽く緩める。
僕はもう一度座り直しながら、その仕草にドキッとしてしまった。
こんな時なのに。
その事実に、つい苦笑が漏れた。
バカだな、僕は…
「なんの御用ですか?こんな昼間に。次の予定がありますので、手短にお願いできますか」
「っ…!」
素っ気ない言い方に、那智さんの怒りが一瞬にして立ち上ったのを感じて。
咄嗟に、その腕を掴む。
那智さんはハッとしたように、僕を見て。
一度深呼吸すると、腕を掴んだ僕の手をぎゅっと上から包み込むように握った。
「大切なお話なので、手短には話せません」
そうして、低い声でそう言うと。
龍さんは微かに目を見張る。
「…わかりました。で?こんな人気 のないところに呼び出してまでする大切な話とは、なんです?」
そのまま深くソファに身を沈めた龍さんを見て。
那智さんは、そっと僕の背中を撫でた。
僕は、深く息を吸って。
お腹に力を入れる。
「…赤ちゃんが…できました…」
震える声で、でもちゃんと聞こえるように一言一言をはっきり言うのを意識して、伝えると。
龍さんが、目を大きく見開いた。
「ぼ、僕は、あなたとしか、アフターはしていません。だから、あなたの子どもです」
目を見開いたまま、黙って僕を見ているから。
つい焦って、そう口走ってしまうと。
「…そうか」
龍さんは抑揚のない声で、それだけを言って。
膝の上で両手を組むと、視線をそこへ落とした。
押し潰されそうなほど重い沈黙が、流れる。
それに耐えきれなくて。
「は、反対されてもっ…僕は、この子を産みますっ…!」
自分から、叫んでいた。
ともだちにシェアしよう!