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大瑠璃(おおるり)17 side蓮

その夜。 マンションに戻り、誉先生の話を楓に伝えると。 楓は右手に抑制剤、左手に誘発剤を乗せ、長いことそれを見つめて考え込んでいたけど。 やがて、左手をぎゅっと握り締めて。 「ヒート…ちゃんと、蓮くんと乗り越えたい」 まだ不安に揺れる瞳で、でもはっきりとそう言った。 翌日、出勤してすぐ、次の日からの一週間のヒート休暇を申請した。 和哉は穏やかに笑って。 「頑張ってくださいね。次の出勤日に身体ボロボロだったら、従業員に示しがつきませんから、気をつけて」 そう言って、その間俺の仕事を全て引き受けてくれることを約束してくれた。 引き継ぎ資料をまとめ。 18時には仕事を切り上げ、スーパーに寄って一週間分の食料品を買い溜めて。 家に帰ると、楓が夕飯を用意してくれていた。 俺の好きな、クリームシチューだ。 「おかえり、蓮くん」 「ただいま、楓」 そう言って、そっと重ねた唇はひどく冷たかった。 少ない会話で夕飯を済ませ、二人で後片付けをして、交互に風呂に入り。 後から風呂に入った俺が、ベッドルームへ入ると。 楓は明かりも付けずに、ベッドの上にぺたんと座り込んで、膝の上で拳を握り締めていた。 「楓」 そっと声をかけると、びくんっと大きく震える。 ベッドサイドの明かりだけを灯し、ゆっくりとベッドへ上がると。 潤んで、今にも涙が零れ落ちそうな瞳が、見上げてきた。 「あのっ…あのね…もし、俺がワケわかんなくなって、暴れて…蓮くんを傷付けるようなこと、言っちゃったらっ…すぐ、捨てちゃっていいからっ…」 そうして、焦ったようにそんなことを早口で言い出して。 「俺、大丈夫だからっ…ひとりで、生きていけるしっ…だから、だからっ…」 「楓、落ち着いて」 俺はそっと楓の髪を撫で、壊れ物を包み込むつもりで優しく抱き締める。 「そんなこと、しないから。言ったろ?どんな楓だって、愛してる」 「でも、でもっ…」 「それにさ。考えてみてよ。もし俺がΩで楓がαで、俺が楓に同じこと言ったとしたら。楓は、俺を捨てる?」 宥めるように背中を擦りながら、そう訊ねると。 楓は一瞬びくっと動きを止めて、それから首が捥げそうなくらい激しく横に振った。 「そんなこと、しないっ…」 「だろ?俺も、同じ。楓がなにをしても、なにを言っても。俺の気持ちは絶対に変わらない。愛してる。楓だけを愛してる」 何度も愛の言葉を繰り返すと、強張っていた身体から少しずつ力が抜けていく。 「…ホント、は…こわい、よ…」 「うん」 「俺…きっと、蓮くんを傷付けちゃう…」 「大丈夫。なにがあっても俺は傷付かないし、絶対にこの手を離さないから」 ようやくポロリと本音を吐き出した楓の手を取り、ぎゅっと握り締めると。 「…うん…」 弱々しい力で、それでも確かに握り返してくれる。 そのままただ抱き合って、静かに楓の心が決まるのを待つ。  長い長い時間、そうしていて。 やがて、楓が細く長い息を吐き出して、握っていた手に一度ぎゅっと力を込めた。 「…薬、飲む…」 「わかった」 俺は楓を抱いていた片手を外し、サイドボードに置いてあった淡いピンク色の錠剤とペットボトルを取り。 水と薬を口に含んで、楓にそっと唇を寄せると。 一瞬だけ大きく瞳を揺らし、でもそっと目蓋を下ろした。 少しだけ開かれた震える唇に、自分の唇を重ね、薬を水とともにゆっくりと流し込んでやる。 こくん、と。 静寂に包まれた部屋に、薬を飲み込んだ音がやけに大きく響いた。

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