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鶺鴒(セキレイ)8 side蓮
しばらくの間、無言でちびちびとビールを飲んでいると。
徐に、春海が小さく息を吐いた。
「でもさ。おまえの気持ちもわかるけど。俺、ちょっとだけだけど、楓の気持ちもわかる気がするな」
「…なんだと?」
「昔さ。高校んときだけどね。楓、言ってたんだ。いつか、おまえの支えになりたいって」
「え…?」
ぽつりとそう言って、昔を思い出すように遠くを見つめる。
「いつも守ってもらって、支えてもらうばっかりで、自分が情けなくて嫌だから、いつか自分が蓮くんを支えてあげられるように強くなりたいって。その為には、もっと自分に自信をつけなきゃってさ…だから、あのコンクールに応募したんだよ?」
初めて聞く話だった
「そう…だったのか…」
変だと思ったんだ
楓はうちに来た時から
暇があればずっとピアノを弾いていたけれど
それは誰かに聞かせたいとか
他の人より上手くなりたいとか
そういうのは一切なくて
ただ自分自身と向き合って
自分が納得出来ればそれでいいと
ずっとそんな感じで
だから突然コンクールに応募するって言い出したときは
よっぽど先生にしつこく口説き落とされたのかな
なんて、あまり深く考えていなかったけれど
まさかそんなことを考えていたなんて……
「きっと、今も同じなんじゃないかな?おまえとこれから生きていくために、おまえとちゃんと並んで歩いて行くために、自分の足で立ちたいって思ってんじゃないかな?だって、俺と暮らしてるときは、自分からなにかをやりたいなんてこと、絶対に言わなかったし」
春海はどこか悔しそうに、微笑んだ。
「…そっか」
「あ、わかった!そんなに目を離すのが嫌だったら、おまえんとこのホテルで雇ったらいいんじゃん?あの最上階のバーの店員とか、レストランの店員とか。楓、接客上手いよ?」
「それは、無理」
そうして、いいこと思い付いたって顔で口にした提案は、速攻で却下する。
「あいつを、酒の入った男たちの好奇の目に晒したくない」
「…あ、そ…」
「それに、うちのホテルはそういう誰かの紹介とかで雇うことはしないって決めてるんだ。例外は、作りたくない」
「頭硬いな、おまえ」
「そうじゃない。でも、俺の番だってことは隠せないだろ?私情で自分の番を雇った、なんて思われたら、どんなやっかみを受けるかわからない。そして、きっとその矛先は俺じゃなくて楓に向かうんだ。今はまだ、あいつを誰かの悪意に晒すなんて、絶対に出来ない」
「…そう言われれば、そっか。うーん、難しいなぁ。良い案だと思ったんだけどなぁ」
唸りながら、スマホを取り出して。
「人に会わない仕事なんて、なかなかないよな…内職とか、かなぁ…でも、別に金を稼ぎたいわけじゃないんだよねぇ…」
一人でぶつぶつ言いながら、楓の為に仕事を探してくれている春海の姿に。
胸の奥がジンと熱くなった。
「…おまえって、格好いい男だよな」
思わず心の声を呟くと、春海はバッと顔を上げて。
ニヤリと笑う。
「なんだよ。今頃気付いたのか?」
「いや、知ってた。ずっと昔から。だから…楓がおまえに惹かれてたんだろ」
昔のことを走馬灯のように思い出しながら。
「…あの時は、悪かったな」
ずっと、心に痼のように残っていた言葉を、吐き出した。
春海は笑った顔のまま、目を細め。
「そんなの、もうとっくに時効だよ」
あっさりと、俺を許してくれた。
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