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鶺鴒(セキレイ)15 side蓮

それから5日後。 楓から承諾の返事を受けた俺は、契約のために楓を連れて出勤した。 「…どうしよ…すごい緊張してきた…」 少し青ざめた頬で、両手をぎゅっと握り締めたまま歩く楓を、抱き締めて安心させてやりたかったけど。 さすがに、スタッフと頻繁にすれ違う廊下で、そんなことをするわけにもいかず。 「大丈夫だよ。今日は契約書を交わすだけだし。俺が、ついてるから」 「…うん。ありがと」 人気のないのを確認して、背中をそっと撫でてやると、多少ぎこちなかったけど、笑顔を見せてくれた。 支配人室のドアを開くと、まだ和哉はいなくて。 「とりあえず、そこ座ってて」 応接セットのソファを指差し、楓がそこに座るのを横目で確認しながら、内線でコーヒーを持ってきてくれるように頼んだ。 「ここ…蓮くんの部屋?」 楓は、物珍しいものを眺めるように、きょろきょろと辺りを見渡している。 「そうだよ」 「ふぁ…スゴいね。こんな立派な部屋で、お仕事してるんだ…」 「立派って…そうか?別にこんなの…」 お父さんの会長室に比べれば めちゃくちゃ狭いところだけど そう言いかけて。 慌てて言葉を飲み込んだ。 「…?なに?」 「いや、なんでもない」 楓は不思議そうに首を傾げたけど。 「ねぇ、外、見てもいい?」 「ああ」 俺が頷くと、嬉しそうに窓際へと歩み寄って、眼下に広がる街並みを眺める。 「あ!うちのマンションが見える!」 「うん。いつも、ここから楓は今なにしてるかな?って考えてる」 「もう…そんなどうでもいいこと考えてないで、ちゃんと仕事しなよ」 「仕事は、ちゃんとしてるよ。いつも楓のことを考えちゃうのは、俺の標準装備だから」 「…なにそれ」 他愛ない会話を交わしながら。 俺はそっと、どこか楽しそうな横顔を盗み見た。 楓は… あの家のことを お父さんや龍のことを 今、どう思っているんだろう きっと良い思い出ではないだろうから 思い出させるようなことは避けてきたけれど… それでもきっと 一生避けては通れないかもしれない 俺たちは間違いなく九条の人間で おまえはその血を一番色濃く受け継いでいるのだから ましてやおまえが一番可愛がっていた後輩が 龍のお嫁さんになるなんて知ったら おまえはどうするんだろうか… 「蓮くん?どうかした?」 考えていたら、いつの間にか楓を後ろから抱き締めていて。 「なんでもないよ」 そう言いつつ、うなじの噛み痕に唇を寄せる。 「んっ…蓮、くんっ…」 楓が身動ぎして、甘い吐息を吐いたとき。 扉をノックする音が響いた。 楓が、慌てて俺の腕から飛び出して、ソファへと走って戻る。 「どうぞ」 一瞬にして茹でダコみたいに真っ赤になったのが、可愛くて。 つい緩んだ口元を片手で隠しながら返事をすると、楓が口を尖らせながら睨んできた。 いや、だから… そんな真っ赤な顔で睨まれても 可愛いだけだから… 「失礼します」 さすがにデレた顔をうちのスタッフに見られるわけにもいかないので、窓の方へ身体を向ける。 「コーヒー、お持ちしました」 「ありがとうございます」 背中越し、どこか余所行(よそゆ)きっぽい楓の声を聞きながら、見るとはなしに景色を眺めていると。 「あの…もしかして、ヒメさん…ですか…?」 コーヒーを運んできたスタッフが、恐る恐る訊ねるのが聞こえてきて。 「あ…はい。そうです、けど…」 「やっぱり!うそーっ!あの噂、本当だったんだ!髪の毛、切ったんですね?短いのもステキです!」 楓の返事に、途端に興奮したような声に変わったのに、慌てて振り向いた。

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