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鶺鴒(セキレイ)21 side蓮

1ヶ月後───── 『いよいよ、今日がデビューか』 「ああ。よかったら、聞きにくるか?」 『…いいのか?』 「もちろん。楓も、きっと喜ぶよ。ああ、でも、明日から国会だっけ?忙しいんだよな?」 『…君が、そんな嫌味を言う人間だとは思わなかったな…』 「別に、嫌味じゃないよ。純粋に、忙しいんだろうなと思ってるだけだ。本当に来て欲しくなかったら、わざわざ連絡なんてしない」 『番になったら、ずいぶん余裕になったもんだ。…わかった。是非とも、抱えきれないほどの花束でも持って、駆けつけよう。実は、このために前々から時間を空けてあったんだ。僕も久々に、柊の顔を君のスマホのアルバム越しじゃなく、直接見たいしね』 「柊じゃなくて、楓、な」 『僕にとっては、彼は永遠に柊だよ』 「失礼します。…あ、すみません、お電話中でしたか」 ノックの音と同時に、ドアが開いて。 入ってきた和哉が、俺を見て慌てて口をつぐんだ。 『忙しい時間に、すまなかった』 「いや、俺の方こそ。じゃあ、後程待ってるよ」 『ああ』 電話を切り、和哉に向き直る。 「悪い。なにか?」 「ヒメさん、到着しました。控え室でお待ちです」 「ああ、わかった。ありがとう」 「あの…」 頷いて立ち上がると、和哉は少し困ったように眉を下げた。 「どうした?」 「実は、さっき今日の客室が満室になったという連絡が来たんですが」 「平日なのにか?なにかあったのか?」 「恐らく…ヒメのせいかと」 「え?」 「どうやら、SNSで今日からヒメがうちのホテルで弾くって情報が流れてるらしく…それを見たヒメの熱烈なファンが、こぞって予約を入れたようで」 「そんなに…?」 「ロビーも、既に大勢の人集りが出来ているようです。…あの人、大丈夫なんですか?」 二人だけしかいない部屋で、それでも声を潜めて和哉が訊ねた。 「…わからない。でも、今さらキャンセルには出来ないだろ。楓は、ああ見えても案外度胸はあるんだ。昔は、人前で弾くときには全く緊張してなかったし」 「それは、俺も知ってはいますけど…」 「今は、楓を信じるしかない。今日は俺がずっと傍についてるから、不測の事態には対応できるはずだ」 「…わかりました。とりあえず、警護のスタッフは増やしておきましたし、俺も出来る限りはフロントロビーにいるようにします」 「ああ、頼む」 足早に出ていった和哉の背中を追いかけながら部屋を出て、楓の待つ控え室へと向かう。 「ヒメ、俺だ」 ノックをして声をかけると、しばらく後にガチャンと鍵を開ける音が聞こえて。 「蓮くん」 少し緊張した面持ちの楓が、ドアから顔を出し、俺を中へと招き入れた。 並んでベッドに腰掛け、そっと青白い頬に手を当てる。 「緊張してる?」 「うん、少し…人前で弾くの、久しぶりだから」 「大丈夫、今日はずっと傍にいるから」 「ホント?」 「うん。楓が演奏してる間は、ずっとロビーにいるよ」 「…ありがと」 俺の言葉に、ほっとしたように微笑んだ。 「そのスーツ、よく似合ってるよ」 衣装は、今日のために先日二人で買いにいった、真っ白なスーツ。 細身の小柄な身体に合わせて作ってもらったそれに身を包んだ楓は、まさしく天から舞い降りた天使のようだった。 「そう?孫にも衣装じゃない?」 「そんなことない。すごく、綺麗だ」 「…綺麗って…男への褒め言葉じゃない気がするけど…」 不満そうに唇を尖らせながらも、耳はほんのりと赤くなっていて。 照れてるだけなんだと、わかる。 「仕方ないだろ。俺が世界で一番綺麗だと思うのは、楓なんだから」 両手でひんやりとした頬を包み込み、顔を寄せると。 楓は尖らせた唇のまま、ゆっくりと目蓋を伏せたから。 重ねるだけのキスを落とした。 「傍に、いる。だから、なにも心配しなくていい」 「うん…ありがと、蓮くん」

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