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鶺鴒(セキレイ)23 side蓮

その美しい指先から紡がれる、柔らかで温かい音色は、キラキラ光る粒となって辺り一面を輝かせ、ホテルに入ってくる人を優しく出迎えた。 ヒメに会いたいと集まった人たちはもちろん、なにも知らない宿泊客さえも、ヒメの奏でる美しい音に足を止め。 皆一様に笑顔になっていく。 昔から変わらないな… 楓の奏でる音は、聞く人みんなを笑顔にする それはきっと 楓自身の優しさや強さ、心根の美しさが音に乗って人々の心に届くからなんだろう 「…いい音だな」 少し離れたラウンジのソファに座り、幸せそうに鍵盤を弾く楓を見守っていると。 すぐ横で、よく響く低音の聞き慣れた声が聞こえて。 「…遅かったな。もう、終わるけど?」 隣に腰を下ろす気配に、そちらを振り向けば。 宣言通り、抱えきれないほどの大きな薔薇の花束を持った伊織が座っていた。 「一時間ほど前から聞いてたよ。柊の幸せそうな顔と、君の蕩けそうなデレ顔を交互に見て、楽しませてもらっていた」 「は…?そんな顔、してないだろ」 「ふふふ…まぁ、そういうことにしておこうか」 楽しげに目を細めたタイミングで、音が止んで。 一拍遅れて、大きな拍手が巻き起こる。 腕時計を確認すると、ちょうど19時になったところだった。 「さて、じゃあ麗しの我がヒメ君に挨拶してこようかな」 微笑みを浮かべながらも、芝居じみた言葉と挑発するような眼差しを向けて、伊織が立ち上がる。 「…どうぞ。きっとヒメも喜ぶと思いますよ」 俺も同じ眼差しを笑顔で返してやると、軽い笑い声を立てながら、大きな花束を持ってピアノへと向かった。 「えっ…斎藤伊織じゃない!?」 「ホントだっ!」 その姿に気付いたギャラリーから、驚きの声が上がって。 ガタッと椅子の音が聞こえ、楓が立ち上がったのが見える。 「え…?」 まるで信じられないものを見たかのように、その瞳が大きく見開かれて。 「やぁ…久しぶりだね、ヒメ。会いたかったよ」 「…なんで…ここ…」 「もちろん、君の新しい門出を祝福するためにね。おめでとう、ヒメ。これは、私からのほんの細やかな気持ちだ」 ゆったりとした足取りで楓の傍へたどり着き、楓の両手では抱えきれない大きさの花束を差し出すと。 周りからは悲鳴のような歓声とどよめきが起こった。 胸の奥の方で なにかがちりっと焦げるような感覚がした 「あの…」 「受け取ってはくれないのかい?」 楓は戸惑うように視線を揺らして。 それから、きょろきょろとなにかを探すように辺りを見渡す。 そうして、俺の姿を見つけると、助けを求めるような視線を投げた。 そのことにどこかほっと胸を撫で下ろしながら、無理やり笑みを貼り付けて頷いてみせると。 ようやくおずおずと手を出して、その花束を受け取る。 「ありがとう、ございます…伊織さん…」 小さな声でそう告げて、顔を上げ。 まっすぐに伊織を見つめた楓は、息を飲むほど艶やかに微笑んで。 また、ジリジリと胸が痛んだ。

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