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鶺鴒(セキレイ)24 side蓮

その後、ホテルの2階にあるフレンチレストランの個室へと場所を移し、3人でテーブルを囲んだ。 「今日は、わざわざ来てくださってありがとうございます。こんな素敵なお花までいただいて…俺には勿体ないくらい」 食前酒で乾杯すると、傍らの椅子の上に置いた花束を見ながら、楓が伊織に向かって微笑む。 「そんなことはない。今日の演奏は本当に素晴らしかったよ。あの店にいた頃も、とてもいい演奏をしていたけれど、今日の君の演奏はそれ以上に心に響いて…この感動は、そんな小さな花束じゃ伝えきれないほどだよ」 「それは、誉めすぎです。俺はプロのピアニストじゃないですから…」 「人の心を揺さぶる音に、プロだとかアマチュアだとかは関係ないだろう?それに、僕は何人かのプロのピアニストを知っているが、上手いと思うことはあっても、こんなに心が震えたことはなかった。人を癒す音楽の力というものを実感したのは、今日の君の演奏が初めてだったよ」 「…ありがとうございます。では、素直にその言葉を受け取らせていただきます」 「そうしてくれたまえ。それに、君は今日から君のピアノでお金を稼ぐんだろう?立派なプロじゃないか」 「あ…そう言われれば、そうですね」 「だったら、もっと自信を持っていい。君の演奏を聞いて、何人もの人が笑顔になるのを僕はさっきこの目で見たよ。それは、間違いなく君自身の力の賜物だ」 「はい…ありがとうございます」 ぺこりと頭を下げ、本当に嬉しそうに伊織を見つめ。 伊織も、そんな楓を愛おしさを隠そうともせずに見つめ返した。 二人を取り囲む、どこかしっとりとして穏やかな空気に割って入ることも出来ず。 ジリジリとしたものを感じながら、それを黙って見ていることしか俺にはできない。 唯一、柊が心を動かされた男… 那智さんは伊織のことをそう言ってた 俺が日本にいない間のことを どうこう言う権利なんてないってわかってるけど… それでもモヤモヤする! つーか、なに、この雰囲気! 俺といる時と全然違うじゃないか! 楓を今すぐここから連れ出して、伊織の目に触れないところに連れていってしまいたい衝動に駆られるのを、必死に微笑みの仮面を被って堪えてると。 不意に俺へと視線を向けた伊織が、可笑しそうに口の端を上げた。 「…っ…!」 「蓮くん…?」 つい、反射的に立ち上がったのと同時に、ポケットに入れたスマホが震えて。 その振動に、一瞬頭に上りかけた血が、ふっと冷める。 「失礼」 平静を装って取り出すと、和哉からで。 『お食事中のところ、申し訳ありません。お客様が、うちのスタッフの対応が気に入らないとお怒りで…先方がどうしても総支配人を出せと言って収まらないようなので、お願い出来ませんか?』 「え?あぁ…」 思わず、ちらりと伊織を見ると。 「トラブルかな?ヒメは僕が傍についてるから、遠慮なく行ってきたらいい」 すぐに察したらしい伊織が、余裕綽々の笑みで、そう言った。 「………」 『…蓮さん』 それでもまだ動けないでいると、電話の向こうの声がワントーン落ちて、ほんの少しの威圧感を漂わせる。 「…わかった。すぐに行く」 溜め息を吐いて、電話を切り。 「ごめん、楓。すぐに戻るから」 俺は伊織に見せつけるように、楓を片手で引き寄せて、その頬にキスを落とした。 「俺は大丈夫だから、早く仕事戻って?」 「ああ。万が一、食事終わっても戻ってこなかったら、必ず控え室で待っててくれ。くれぐれも、一人で帰るんじゃないぞ?伊織に送ってもらうのも駄目だからな」 「わかってる。ほら、早く」 心配そうに眉を寄せる楓に、急かされて。 後ろ髪を引かれる思いで、レストランを後にした。

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