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白鷺(しらさぎ)5 side楓
食べ終わった食器を片付けると、春くんは和哉が切らしてると言ってたコーヒーを棚から出して、淹れてくれた。
「楓は、砂糖少しとミルクたっぷり、だよね?」
「うん」
二人の関係性に、なんだか心の中がくすぐったくなってると、春くんが俺好みに作ってくれたコーヒーを手渡してくれる。
「なに?どうしたの?」
俺が笑ってるのを、不思議そうに見つめるから。
「二人、仲良しだなぁと思って」
正直に言うと、春くんはちょっと心外そうに顔をしかめた。
「そうかな?そうでもないよ」
けど、それは照れ隠しだってこと、俺にはわかる。
「そんなことより、どうなの?仕事は」
「楽しいよ、とっても。ただ自分が弾きたくて弾いていただけのピアノを、まさか仕事に出来るなんて思ってもなかったから、本当に今、幸せなんだ」
「よかった。今の楓、すごく良い顔してるからさ、きっと楽しいんだろうってわかったよ」
「春くんと和哉が考えて、蓮くんに提案してくれたんでしょ?ずっとお礼を言わなきゃって思ってたんだ。ありがとう」
「お礼なんて…俺は、楓が幸せならそれでいいんだから」
昔から全く変わらない、俺を見守ってくれる優しい眼差しに、胸がじんと熱くなった。
「…ごめんね…」
春くんの気持ち
痛いほど感じてたよ
なのに俺は
その気持ちに甘えるだけで
結局なにも返すことが出来なかった
本当にごめんね…
「なにが?」
「…臨床試験、途中で投げ出す形になっちゃったでしょ?だから、ごめん」
心の中で呟いた言葉は、なんとなく口に出してはいけない気がして。
俺は別の、ずっと謝らなきゃと思っていたことを口にする。
「ああ。そんなの気にすることないよ。今は、50人程のΩ男性に試してもらってるんだけど、すごくいい報告が上がってきてる。このままいけば、そう遠くない未来に承認が下りると思うよ」
「ホント?よかった」
「うちの会社の上層部も、みんなヒメに感謝してる。親父なんか、一度会ってお礼が言いたかった、なんて言うんだけどさ…さすがにヒメは楓でした、なんて言えないから、適当に誤魔化してる」
「そっ、か…」
俺が初めてのヒートを起こす前、心臓の薬だと信じて飲んでいた薬は、春くんのお父さんから渡された当時の最新の抑制剤だったって、ずいぶん前に蓮くんに聞いたことを思い出した。
「じゃあ俺、ずっと藤沢製薬の臨床試験に関わってるんだね」
「おお、ホントだ!親父なんて、楓に足向けて寝られないよ!」
少し重苦しくなりかけた雰囲気を吹き飛ばすように、声のトーンを上げて笑うと、春くんも同じように笑ってくれる。
「ふふっ…そんなこと、ないけど。あ、そうだ、馬路さんは元気にしてる?」
「あー…あの人、会社辞めた」
「辞めたの?」
「うん。あの人、元々薬の開発というより、Ωの生態の研究の方に興味あった人だからさ…うちの会社じゃ、もうやることなくなったって言って、あっさり辞めちゃったよ」
「そう、なんだ…俺、いつか謝らなきゃって思ってたのに…」
もしかして
あの時、俺が無理言ったから
会社に居づらくなっちゃったのかな…
「そんな必要ないよ、楓のせいじゃないし。深刻に考えることもないって。辞めるときなんて、あっさりしてたよ。どーもお世話になりました!なんて、笑顔で手を振って辞めてったんだから」
「そうなの?」
「そう。まぁ、研究のことしか頭にないマッドサイエンティストだから、どっかの大学の研究室とかに潜り込んで、Ωの研究してるんじゃない?」
「そっか」
「だから、楓もあの頃のことは忘れて、蓮とのこれからのことだけ、考えてればいいからさ」
そう言って、また優しく微笑んだ春くんに。
俺は小さく頷いた。
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