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白鷺(しらさぎ)16 side蓮
「くそっ…」
飛行機を降りてすぐに楓に電話をしても、やはり電源が入っていないという無機質な音声が流れてくる。
「ヒメさん、大丈夫ですかね?」
「あ、ああ…まぁ、家から出てる形跡はないから、具合悪くて寝込んでるんじゃないかな」
思わず舌打ちしてしまった俺の顔を、同行してたスタッフが心配そうに覗き込んできて。
俺は慌てて平気そうな表情を作った。
一昨日の夜、俺が送ったメッセージには既読が付いたけど、返信はなく。
昨日送ったメッセージには、既読も付かなくて。
仕事の合間を見て電話をかけても応答はなく、今朝には電源が切れているというメッセージに変わった。
和哉からは、昨日の夜ヒメがホテルに現れなくて、電話しても繋がらないという連絡があって。
心配して家にも見に行ってくれたらしいが、やっぱり応答はなかったらしい。
なにかの事件に巻き込まれたのかもと警察に届け出ようかと言ってくれたが、念のために楓に内緒で付けてある家のドアのセキュリティを確認して、一昨日の夜に部屋に戻り、それ以降は出ていないことはわかっていたから、それは断った。
長崎にいる間、ずっと楓が俺を呼んでいるような気がした
もしかして、ヒートが早く始まったのかもしれない…
なんとなく、そんな気がしたから。
「僕がホテルに戻って副支配人に報告しておきますので、総支配人はご自宅にこのまま戻ってください。きっとヒメさん不安でしょうから」
「ああ、すまない。じゃあ、お言葉に甘えてそうさせてもらおうかな」
「はい、是非!ヒメさんには、早く良くなってまた素敵な演奏を聞かせてもらわないと!ヒメさんの演奏は、僕たちスタッフの活力源ですから!」
そんなにヒメの演奏には興味なさそうだった彼の、思いがけない熱さにちょっと気圧されつつ。
「ありがとう。じゃあ、後の事は頼む」
「はいっ!ヒメさんによろしくお伝えください!」
残務を彼に託し、タクシー乗り場へと急いだ。
けれど。
「待って!蓮さん!」
後ろから、耳障りな甲高い声が呼び止めてきて。
仕方なく、足を止める。
「…なにか?」
不快な気分が顔に出そうになるのを、必死に抑えながら振り向いた。
カツカツと、耳障りなヒールの音を鳴らしながら、羽生さんが近付いてきた。
「よろしければ、この後お食事でもどうかしら?父も、もっと蓮さんとお話がしたいって言ってるの。この後も長いお付き合いになるんだから、もっとお互いのことを知った方がいいと思って」
飛行機は別で取っていたはずなのに、無理やり俺と同じ便に乗り込み、無理やり席を交代して俺の隣に座り。
一時間半も不快な声で一方的に話を聞かされ、正直二度と顔も見たくない女の誘いに、俺はうんざりしながら、それでも営業用の笑みを張り付ける。
くそっ…
一刻も早く楓の元に帰りたいのにっ…!
「いえ。申し訳ありませんが、今日は失礼します。俺の大切な番が、どうやら家で寂しがっているようなので」
「あら…番って、あのピアノの?でも、所詮はΩでしょう?Ωが寂しがるのなんて、αの種が欲しいだけじゃない。そんなの、放っておけばいいのに」
そのΩをバカにした高慢な態度に、反吐が出る。
この親子の魂胆なんて
最初っから透けて見えている
俺を婿にして
あのホテルを手に入れ
そうしてあわよくば九条財閥の恩恵にもあやかろうって浅はかな考えなんだろう
愚かすぎる
こんなのが同じαだと思うと自分が同じ人種であることに怒りさえ湧いてくる
菊池さんの頼みじゃなきゃ
こんな奴ら今すぐに口汚く罵倒して縁を切ってやるのに…
「…そういうわけにはいきません。彼は、俺の命より大切な番ですので。彼が呼べば、俺はなにをおいても駆けつけなければならないんです」
言葉に力を入れて、そう言うと。
女の眉がびくりと動いた。
「では、失礼します」
その汚い赤い唇が、不愉快な言葉を吐く前に。
ちょうどやって来たタクシーへ乗り込む。
「蓮さんっ…」
「急いで出してくれ」
我に返った女が、タクシーに駆け寄ろうとするのを横目で見ながら、俺は運転手を急かしてその場を後にした。
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