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白鷺(しらさぎ)32 side志摩

その夜は、ベッドに入っても全然眠くならなくて。 僕は龍さんの大きな腕の中で、すぐ間近にある無垢な子どものような龍さんの寝顔を、ずっと見ていた。 でも、やっぱり気になるよ… どうして、楓さんはこの家を出て、あそこで働いてたんだろう…? 柊さんは、お兄さんと番になろうとして、お父さんに引き離されたって言ってたけど… あのお義父さんが、だからってあんなところに楓さんを放り込むだろうか? 小夜さんの話を聞く限り、楓さんはΩでも、αの蓮さんや龍さんと分け隔てなく育てられていたみたいなのに。 あんなに一緒にいたのに 僕、柊さんのこと全然知らないや… 柊さん、会いたいよ… 教えて欲しい いったい柊さんの過去になにがあったの…? 柊さんが過ごした でももういなくなったこの家で 僕はどうやって生きていけばいいの…? 息苦しさに、胸が痛くて。 同時に、お腹の奥がちくんと痛みを訴えた。 「…う…」 その時、頭の上から小さな呻き声のような吐息が漏れて。 驚いて顔を上げたら、それまで穏やかな顔で眠っていた龍さんが、苦しそうに顔を歪めている。 「…ご…め……ごめ…なさ…」 夜の闇に消え入りそうなそれは、耳を澄ましてみると、謝罪の言葉で。 「ごめ…ゆる、して…」 長い睫が、僅かな光にキラッと光ったと思ったら、目尻から大粒の涙がぽろりと零れ落ちた。 思わず息を飲むと、目蓋がふるりと震えて。 僕は慌てて目を瞑る。 なんとなく、見ちゃいけないものを見た気がして… 「…はぁ…」 大きな溜め息が聞こえてきて。 続けて、温かい大きな手が、僕の頭を撫でた。 何度も何度もそうするのを、必死に眠った振りをしてやり過ごしていると、やがて起き上がる気配がして。 龍さんの優しい香りが遠ざかっていき、ドアが開く音がする。 パタンとそれが閉まったのを聞き届けて、僕は起き上がった。 どうしたんだろ… ずいぶん魘されてたけど… 誰に、謝ってたんだろ…… 苦しそうに歪んだ顔が、頭から離れなくて。 物音を立てないようにベッドから抜け出すと、ドアを少しだけ開いて、そっとリビングの様子を伺う。 龍さんは僕に背を向けるようにソファに腰掛け。 大きな身体を小さくして、項垂れている。 その背中は、震えているようにも見えた。 見たことがない、その頼りなげな姿に、駆け寄って抱き締めてあげたい衝動が沸き起こって。 足を踏み出そうとした、その瞬間。 「…楓…」 龍さんが呟いた名前に、思わず息が止まった。 「ごめん…許してくれ…」 声は、涙で濡れているように聞こえて。 「ごめん…おまえの…おまえと兄さんの子どもの大切な命を奪っておいて…俺だけが、幸せになろうだなんて…許されない、わかってるんだ…」 耳をそばだてていないと聞こえないような小さな独白が、僕の身体を貫いた。 子どもの命…? 奪った……? 頭の中で、もう一度その言葉を繰り返すと。 鋭い痛みが、僕の中を駆け抜けていく。 足の力が抜けて。 膝から床へ崩れ落ちた。 「…ごめん…許してなんて、言ってはいけないことは、わかってる…でも…愛しているんだ…志摩と、あの子を守りたい…ごめん…楓…許してくれっ…ごめんっ…」 僕は真っ白になった頭を抱えて、床に踞ったまま。 龍さんの苦し気に啜り泣く声を、いつまでも聞いていた。

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