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大水薙鳥(オオミズナギドリ)10 side龍
最初に志摩に惹かれたのは
あのピアノの音色だった
楓とは似ても似つかぬ容姿なのに
なぜかそのピアノだけは楓の音と同じで
ふとした拍子に見せる表情が楓と同じで……
はじめは楓が俺を弾劾するために志摩に乗り移ったんだと本気で思った
でも…
志摩が俺に向ける眼差しはいつもキラキラしてて
俺に会うのが嬉しいってことを全身で伝えてきて
隠すことのない俺への好意で溢れていて
志摩といるといつの間にか身体に無意識に入っていた力が抜けて
自然体の自分でいられるような気がした
ずっと気を張って生きてきた
兄さんが家を捨て
突然跡取りになってから、ずっと
みんなが俺を頼りないと思っていることなんて
嫌というほど感じてる
俺が兄さんより劣っているなんて
誰に言われなくったって自分が一番知っている
それでも
この事態を招いたのは俺自身の罪だから
愚かな俺の弱さが
楓と兄さんを苦しめたのだから
俺に弱音を吐く権利なんてありはしない
そう思っていたのに
志摩と話していると
ただ楽しくて
コロコロと変わる表情が可愛くて
愛おしくて
今まで付き合ったΩのような打算もなにもない
真っ直ぐに透き通った眼差しが嬉しくて
欲しいと、思った
俺だけを見てくれる瞳が欲しかった
俺だけを抱き締めてくれる腕が欲しかった
俺だけを愛してくれる存在が欲しかった
たったひとりで生きていくのは
思っていたよりもずっと辛いから
だからあの時
突然ヒートを起こした志摩に抑制剤を飲ませることも
アフターピルを飲ませることもしなかった
万が一子どもでも出来たら
俺の傍にいてくれるんじゃないかと……
どこまでも自分勝手で浅ましく
醜い自分に反吐が出る
それなのに
志摩は俺が認知しなくても子どもを産みたいとまで言った
その真っ直ぐに俺へと向けられた眼差しが
俺を許してくれるような気がして
志摩を
産まれてくる子どもを愛することで
消えるはずのない罪が少しだけでも軽くなるような錯覚を起こして……
そんなはずないのに
これは
そんな愚かな夢を見ようとした俺に与えられた罰なのか
考えたこともなかった
志摩は俺だけを思ってくれていると信じていた
でも
出会った場所を考えれば当たり前のことだ
志摩はアフターは初めてだと言ったけれど
抱かれるのは初めてじゃなかった
あんな場所で働いているんだ
金を貰うためなら嘘だって吐くだろう
当たり前だ
そういう仕事なんだ
本当は心の中に他の誰かがいたって
求められれば身体を差し出す
そんなこと考えなくてもわかることだったのに…
「龍さん、具合でも悪いんですか?」
小夜さんの声に我に返ると。
箸を持ったまま、ぼんやりと考え込んでいたことに気がついた。
「あ…いや、大丈夫…」
慌てて目の前の皿に乗ってる唐揚げを口に放り込む。
噛んだ瞬間、他のとは違う、小夜さんの唐揚げの味が口いっぱいに広がって。
『俺、小夜さんの作る唐揚げが一番好き』
不意に、懐かしい楓の笑顔が脳裏を過った。
「…っ…」
その瞬間、胸がぎゅっと絞られたように苦しくなって。
『いやだっ…かえしてっ…おれの、あかちゃんっ…』
あの日の楓の慟哭が
頭の奥で響き渡った
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