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大水薙鳥(オオミズナギドリ)11 side龍
「ぅっ…げほっ…げほっ…」
堪えきれず。
食べたものを戻してしまった俺の背中を、小夜さんの小さな手が擦ってくれた。
「けほっ…すみま、せ…」
「大丈夫ですか?」
何度も何度も。
その手の感触に。
不意に、まだ幼かった頃も何度もこうやって小夜さんが背中を擦ってくれたことを、思い出した。
俺を産んだ母は、身体が弱く。
俺が物心ついた時にはもう、一日の殆どをベッドの中で過ごしていた。
兄さんと違って、家で静かに遊ぶのが苦手だった俺は、外で遊ぶことが多くて。
それ故に、免疫の落ちていた母の傍には近付けさせてもらえず。
俺には母の記憶は殆どない。
でも、それを寂しいと感じたことはなかった。
なぜなら、俺の記憶の中には常に、小夜さんの温かい笑顔があったから。
悲しいときは、いつも小夜さんが傍にいて、背中を撫でてくれたから。
俺にとっての母とは、実の母ではなく、小夜さんだった。
だけど。
小夜さんは、俺を残して去っていった。
当たり前だ。
俺が傷付け、失望させた。
全ては俺のせいだ。
愚かな俺の過ちのせい。
それなのに……
「…どう、して…」
「龍さん…?」
「どうして、戻ってきたんですか…?」
俺の顔なんて、二度と見たくないんじゃなかったのか…?
だからあの時、怒ることも詰ることもせずに、ただ黙って去っていったんじゃないのか…?
「…俺のこと、憎んでいるんでしょう?」
ずっと喉の奥に痼のようにつかえていた疑問を、口にすると。
小夜さんはピタリと手を止め、どこか苦しそうに顔を背けた。
「…憎んでるなんて…そんなはず、ないじゃないですか」
「嘘だっ!あんなことした俺を、あなたは憎んでいたはずだ!だから、なにも言わずにここを辞めたんだ」
「…龍さん…」
「どうして戻ってきたんです?憎んでる俺と、俺の子どもの顔なんて、見たくもなかったんじゃないんですか?」
こんな子どもが駄々を捏ねるようなこと、言うべきじゃないって頭ではわかっているのに。
孤独に擦りきれた心が、勝手に言葉を紡いでしまう。
瞬間、小夜さんは背けていた顔をバッとまた俺に向け、なぜか傷付いたように瞳を揺らした。
「え…?」
その反応に、俺の方が狼狽えてしまう。
「…ごめん、なさい…」
言葉を失った俺に、小夜さんは涙をいっぱい溜めて俺へと謝罪の言葉を紡いだ。
「なに、を…」
「…ずっと、後悔していたんです。あの時、龍さんを止められたのは、私しかいなかった。恐らく私だけが、あなたの楓さんへの思いを知っていたから…」
零れ落ちた涙が、頬を濡らした。
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