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大水薙鳥(オオミズナギドリ)15 side龍

「龍さん…お母さんのこと…知ってるんですか…?」 「ああ。悪いとは思ったが、調べさせてもらった。おまえの母親は再婚して、今は新しい夫との間に二人の子どもがいる。だから、家には帰り辛かったんだろう?」 結婚を決めたとき、親に挨拶に行くからと言ったら、両親はもういないから、その必要はないと志摩は言った。 だが、念のためにと調べたら、父親は亡くなっていたが母親は健在で。 今は新しい家族とともにごく普通の暮らしを送っていた。 なのに、どうしてそんな嘘を吐いたのか。 俺は今まで深く考えることすらしなかった。 思い返せば、なんて不誠実な夫なんだろう。 そのことに早く気付けてよかった。 今ならばまだ、きっとなにもかも遅くはないはずだ。 「でも、やっぱり報告くらいはした方がいいんじゃないのか?」 「…いえ」 言葉を重ねると、志摩は初めて見せる硬い表情で首を振った。 「僕…知ってました。お母さんが今、幸せなこと。僕がいないことで、新しい旦那さんと平和な生活が送れてること。もうずっと前に、那智さんに調べてもらって知ってたんです」 「…志摩…」 「お母さんの中では、僕はもうとっくにいなくなった存在なんです。だから、今さらあの人を僕のことなんかで悩ませる必要なんかない。穢らわしいΩである僕のこと、思い出させる必要なんてないんです」 暗い影を落とした瞳は、見たことのないもので。 母親との間になにかがあって、志摩が家を出てあの店にいたことは問い質すまでもなかった。 初めて俺に見せる、その胸の奥深くにしまいこんでいた苦悩は、間違いなく志摩の本当の姿。 今まで隠し続けてきたそれを見せてくれたことに、不謹慎だとわかっていても、小さな喜びが沸く。 「…穢らわしいΩなんて、自分で言うんじゃない。おまえは、穢らわしくなんてない。俺の番になる、誰より可愛いΩだよ」 でも、その哀しい言葉だけは否定したくて、少し強くそう言うと。 志摩はびっくりしたように、俺を見て。 今にも泣き出しそうに、顔を歪めた。 思わずそっと肩を抱き寄せると、甘えるように俺の腰にぎゅっと腕を回し、ぴたりと身体を寄せてくる。 「僕の家族は…龍さんと生まれてくるこの子と、お義父さんと小夜さん…それじゃ、ダメですか…?」 小さな声は、微かに震えているようにも聞こえて。 「駄目じゃない。俺の家族も、おまえとこの子だけだ」 肩を掴んだ手に、少しだけ力を込めてそう告げると。 「だから、これから先もずっと俺の傍にいろ。誰よりも幸せにするから」 志摩はゆっくりと俺を見上げ。 「…はい」 涙をいっぱいに貯めた瞳で、でもとても幸せそうに微笑んだ。

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