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大水薙鳥(オオミズナギドリ)23 side楓
蓮くんが連れてきたのは、街中からは少し離れた、静かな寺院だった。
「ここ、は…?」
観光客なんてひとりもいない、ひっそりとしたそのお寺の境内を歩きながら、訊ねると。
「…うちの、菩提寺だよ」
蓮くんは、優しい微笑みを湛えて、そう答える。
「九条家のルーツは、京都なんだ。九条通りって、あるだろう?遠いご先祖様が、あの辺りに住んでたんだ。天皇が東京に居を移した時に、一緒に移り住んだらしいけど…先祖代々の墓は、まだここにある」
寺の裏手に回ると、そこにはたくさんのお墓があった。
「…おいで」
思わず立ち止まった俺の手を、蓮くんが左手で優しく引く。
右手に、途中で買った小さな花束を抱えて。
「ごめんな。今まで、連れてきてやれなくて」
「…ううん…」
申し訳なさそうな言葉に、首を横に振って。
足を踏み出すたびに、ジャリジャリと鳴る石の音だけを聞きながら、無言で進んだ。
たくさんのお墓が並んだ一番奧に、ひときわ大きくて立派な墓石が見えて。
「あれが、うちの墓」
蓮くんがそう言ったけど。
一瞬だけ立ち止まってじっと墓石を眺めると、また歩き出す。
「え、お参りしないの?」
「後でね。今、お母さんには謝っといたから」
焦って訊ねたら、優しい微笑みでそう返されて。
そこから少し離れたところにあった、小さな墓石の前まで連れていかれた。
「…ここ?」
「うん。諒叔父さんの、お墓だよ」
あの立派なお墓とは比べ物にならないくらいに小さなお墓の前には、小さな可愛らしい野菊が備えられている。
その花はまるで、世間から隠れるようにひっそりと生きていたお父さんのようで。
「っ…お父さん…」
熱いものが込み上げて、堪え間もなく涙が溢れた。
「楓…ちゃんと、顔見せてあげて?」
そっと背中に添えられた手の温かさと、俺を包み込むような優しい声音に、泣き崩れそうになるのを何とか堪えて。
蓮くんに渡された花を、その小菊と一緒に供える。
「来るのが遅くなって、ごめんね…お父さん…」
墓石の前で膝をつき、手を合わせると。
ふわりと、柔らかい風が俺の周りを吹き抜けていった。
まるで
お父さんが俺を抱き締めてくれたように
「っ…お父さんっ…」
その瞬間、色褪せたと思っていたお父さんとの記憶が、鮮やかな色とともに次々に頭のなかに溢れて。
同時に、愛しさや切なさ、喜びや悲しみや、いろんな感情がごちゃ混ぜになりながら俺を満たしていって。
「お父さんっ…お父さんっ…」
涙が、また溢れた。
誰よりも愛しい人が、その場に崩れそうになった俺を抱き締めてくれる。
「諒叔父さん…俺たち、番になりました。報告が遅くなって、すみません。これから先、俺の命を賭けて楓を幸せにします。だからどうか、俺たちのことをこれからも見守っていてください。よろしくお願いします」
蓮くんの静かな、でも力強い言葉を聞きながら。
俺はいつまでもその腕の中で、涙を流し続けた。
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