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大水薙鳥(オオミズナギドリ)25 side楓
喫茶店を出て、蓮くんが俺の好きなところを回ろうって誘ってくれたけど、どうにもそんな気分になれず。
観光を断って戻ったホテルの部屋の、美しい枯山水の庭を見つめながら。
俺は遠い昔の朧気な記憶を思い返していた。
小さなカビ臭い部屋
薄いカーテンから差し込む夕焼けに彩られたピアノ
お父さんの優しくて
でも今にも消えてしまいそうな儚い微笑み
透き通るように美しいピアノの音
ずっと心の中にしまいこんであったセピア色の記憶が、鮮やかな色を取り戻して、俺の頭の中に溢れてくる。
それはとても切なくて
でもとても暖かい記憶
「…ごめんな、楓」
その記憶の洪水に身を浸していると、蓮くんの大きな腕が俺を背中から抱き締めた。
「なんで謝ってるの?」
「いや、何て言うか、その…」
首だけ振り返って蓮くんを仰いだら、ちょっぴり情けない顔で眉を下げ。
珍しく、言葉に詰まる。
だから。
「…ありがと、蓮くん。お父さんのところに、連れてってくれて」
俺は、その腕の中でくるりと向きを変えると、逞しい身体にぎゅっと抱きついた。
「え?」
「俺もね…お父さんの気持ち、わかる気がするんだ」
俺とお父さんは
同じだから
「蓮くんの赤ちゃんが、お腹に宿ったとき…絶対に産みたいって思った。俺と蓮くんが、本当の兄弟だってわかっても、この子だけはどうしても産みたいって。そのためなら、あの家を捨ててもいいって思った。結局、俺はあのこを失ってしまったけど…たぶん、お父さんも同じ気持ちで、九条の家を捨てたんだと思う」
「楓…」
俺の言葉に、蓮くんが苦しそうに顔を歪める。
そのへの字に曲がった唇に、俺は微笑みながらそっとキスをした。
大丈夫だよ、と伝えるために。
「ひとりぼっちで生きてるとき…いろんなこと、考えたよ。俺の存在自体が本当は許されないものだから、だからあのこは俺の元から去っていったんじゃないか、とか」
「それは違うっ!」
「一番辛いときは、俺は生きてちゃいけない存在だから、死ななきゃいけないって思い詰めたこともある」
「楓っ!」
「でも…出来なかった。どうしても、蓮くんにもう一度会いたかったから」
俺の話を止めさせようと強く腕を掴んだ蓮くんが、息を飲む。
「俺ね…こんな汚れた身体じゃ、もう蓮くんには会えないって思ってた。でも、どうしても会いたくて。どうしても、蓮くんへの想いを断ち切れなくて。だから、どうしてももう一度蓮くんに会えるまで生きていたいって…それだけを思って生きてた。そうして、一目会えたら…死のうって、決めてた。…お父さんも、そうだったと思う。最後に誰よりも愛する人の姿を焼き付けたかったんだと思う」
脳裏に焼き付いて離れない、やつれたお父さんが最期に見せた、ひどく穏やかな横顔を思い出して。
不意に、涙が零れた。
「でも…蓮くんが助けてくれた。俺のこと抱き締めてくれて、深い闇の中に落ちていこうとするのを救い上げてくれて…いっぱいいっぱい、愛の言葉をくれて…今ね、なんの迷いもなく生きてて良かったって、そう思えるんだ。たぶん、生まれて初めて」
「…うん…」
蓮くんが、溢れる涙を指で掬う。
「…お父さんにも…生きて、こんな幸せを感じて欲しかったな…」
Ωとして生まれたことは
決して不幸なことなんかじゃない
Ωだからこそ感じられる幸せがある
お父さんにもそれを知って欲しかった
「蓮くん、俺ね…Ωでよかったって…蓮くんのΩとして生まれて、本当によかったって、そう思うよ」
「楓…」
「だから、ありがとう」
止まらない涙のまま、笑顔でもう一度蓮くんにキスをすると。
蓮くんは、黙って俺を強く抱き締めた。
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