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大水薙鳥(オオミズナギドリ)29 side志摩
「…番…?」
「うん」
「え…え?どういうことですか?あの…βの人と一緒じゃないんですか!?」
「うん、違うよ。彼は今、運命の番の元で、幸せに暮らしてる」
「運命の番って…蓮さん、ですか…?」
思わずそう呟くと、伊織先生の目がキラリと光った。
「志摩くん…もしかして君、柊が九条楓だってこと、知ってるんだね?」
突然鋭くなった眼差しに、ドキッと心臓が嫌な跳ね方をする。
しまった…
僕、思わず迂闊なことを…
柊さんが伊織先生に自分のことを話してるかどうかもわかんないのにっ…!
「あ、あのっ…違うんですっ…僕、そのっ…」
「ああ、そんなに焦らなくていい。僕は、全てを知っているから」
焦って、なにか言い訳を…って思ったら、伊織先生の穏やかな声がそれを遮った。
先生の目からは鋭さが消え、また優しい眼差しに戻ってる。
「え…全て、って…?」
「柊が、九条楓であることも、彼の運命の番が兄の蓮であることも。…柊の身に何が起こって、どうしてこの家を出ていったのかも」
「え…」
「あの店を出てからのことも、全て知ってる」
「…どう、して…?」
どうして
この家の人間でもない伊織先生が知ってるの…?
そして
どうして僕にはなにも知らされないの…?
「…君は、なにを知ってるんだい?志摩」
諭すように促されて。
今まで胸に抱え込んでいた重い塊が、ぐにゃりと崩れる。
「…柊さんが、楓さんであること…運命の番であるお兄さんの蓮さんと、引き離されたこと…」
「うん」
「そして…龍さんが、楓さんのお腹の赤ちゃんを…殺した…かもしれないって、こと…」
そう言った瞬間、先生が小さく息を飲んだのがわかった。
「…どうして、それを?」
「龍さん、が…魘されてて…その時に…」
「…そっか」
それっきり、先生は顎に手を当てて、しばらく考え込んでいたけれど。
「…知りたいかい?」
顔を上げると、怖いくらいに真剣な眼差しで、僕に訊ねる。
「全てを知ってしまえば、後悔するかもしれない。君が今大好きだと思っているその気持ちも、変化してしまうかもしれない。それでも、知りたいかい?」
硬い声に、この間の龍さんの独白を盗み聞きしてしまったときの胸の痛みが、蘇ってきた。
痛い…
怖い…
聞きたくない…
それでも
「…知りたい、です。大好きな柊さんに、何があったのか…大好きな龍さんに何があったのか…僕だけなにも知らないで、柊さんが本来いるはずだった場所で幸せになんてなれませんっ…」
一緒に暮らしてる頃に何度も見た、カーテンを少しだけ開いた窓の外を眺めている、こっちまで胸が苦しくなるような哀しい横顔を思い出して。
涙が溢れる。
知りたい…
柊さんが何を思いここで育ち
何を思いながらここを出て生きていたのか
あなたのことを
もっと知りたい
「…だそうですよ。剛さん」
泣きじゃくる僕の頭をポンポンと宥めるように撫でた先生が、ドアへと声をかけた。
反射的にそっちを向くと、いつからそこにいたのか、お義父さんが立っていた。
「話してあげるべきじゃないんですか?志摩は、楓が一番可愛がってた後輩ですし…彼はこの家を継ぐ子どもをお腹に宿してる。その母になる人間が、なにも知らないことは、立派な罪ですよ」
まるで脅すような鋭い先生の言葉に、お義父さんの頬が苦しそうに歪んだ。
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