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夜鷹(よたか)2 side志摩

「その日は、いつもはぐっすり眠っているはずの真夜中に、目が覚めた。なぜか、諒に呼ばれた気がしたんだ。その時、私はこの家ではなく近くのマンションに住んでいたんだが、妙な胸騒ぎを感じながらこっそり家に戻り、諒の部屋を訪ねて…噎せ返るような甘いフェロモンの香りに、一瞬で理性を失ってしまった。Ωの発情に遭遇するのはそれが初めてだった私は、抗うことすらできず…気が付けば、実の弟の身体を組み敷いていたんだ。獣のようにね」 衝撃的な話に、思わず息を止めた。 お義父さんは、僕をちらりとだけ見つめ、自嘲するように薄く笑う。 「朝になり、衝動が落ち着いて…取り返しのつかないことをしたんだとわかった。その時、すでに私には親同士の決めた妻がいて、そのお腹の中には私の子どもが宿っていた。それなのに、諒を抱いてしまった。そうして、気が付いてしまったんだ」 「…なに、を…?」 「私は…実の弟である諒を、誰よりも愛していたことに」 淡々とした声音でそう言ったお義父さんの瞳には、哀しみと愛おしさが混在しているように見えた。 「本当は、すぐにでも番にしたかった。だが、その頃の我が家は、α至上主義の厳格な父が当主として君臨していて…とても、諒を番にすることなど許される空気ではなかった。私はその数年前から、密かに会社の変革を促し、Ωを受け入れる体制を整えてはいたが、まだ志半ばで…だから、少しだけ待っていて欲しいと諒に伝えた。父を退け、私が当主の座に着けば、必ず番にすると。諒は涙を浮かべて頷いてくれた。だが…その夜に、姿を消してしまったんだ。私には、なにも告げずに」 そこで一度口を閉ざし、苦しそうに息を吐いたお義父さんを見ながら、胸の痛みに呻きそうになる。 諒さんの気持ちが、痛いほどわかる気がしたから。 諒さんもお義父さんを愛していたんだろう でも、誰よりも大切なお兄さんには奥さんと赤ちゃんまでいて ましてや自分は誰からも疎まれている存在で 番になんか なれるはずがない 誰よりも大切なお兄さんの幸せを 自分が奪うことなんてできるはずなんかないんだ 「…探さなかったんですか…?」 「もちろん、探そうとした。だが、私たちの一夜の契りに気付いた者が父に密告し、私は自由を奪われた。四六時中、監視を付けられ、私がやろうとしていた会社の改革すら、全て無に返されてしまった。それでも、私は諦めるわけにはいかなかった。α至上主義に凝り固まったこの家を変え、諒を探しだし、迎えに行くために。私は父と戦い、父を追放し、ようやく当主に収まって…だが、その頃には妻の具合が悪くなっていてね…元々丈夫な方ではなかったんだが、龍を産んだ後から入退院を繰り返して…私が当主になるのを見届けて、安心したように逝ってしまった。彼女と私は激しく愛し合っていたわけではなかったが、それでも子を成し、夫婦として数年間を過ごしたパートナーを失った喪失感は大きなものでね…それを抱えながら、仕事に忙殺されている間に、諒と別れてから6年の月日が流れ去っていた。そんな時、ふらりと諒が私を訪ねてきたんだ。…幼い子どもの手を引いて。そうして、こう言ったんだ。この子は兄さんの子だから、引き取って欲しいと」 「…それが…楓さん…」 「そうだ。諒によく似た、本当に可愛らしい子だった。私は一も二もなく頷いた。そうして、番になろうと言った。もう私たちを邪魔するものはなにもないと。だが、諒は首を縦には振らなかった。自分には運命の番が見つかったから、その人と番になるんだと。そのために楓が邪魔になったから、だから連れてきたんだと…そう言って、楓を私に預け、一人で去っていった」 「っ…そんなっ…!」 そんなことって…! 「…嘘だったよ」 つい、立ち上がった僕を、お義父さんは穏やかな微笑みを浮かべて、制した。 その瞳がひどく潤んでいることに気付いて、僕は息を飲む。 「楓を私に預けた足で…諒は海に身を投げた。見つかったのは三日後で…冷たくなった諒を抱き締めて、私は自分の愚かさを詰った…どうしてあの時、諒の嘘に気付かなかったのか…あんなに痩せ細って…なにを言われようとも、私はあの子を離してはいけなかったのにっ…」 血を吐くような慟哭とともに、お義父さんの瞳からとめどない涙が溢れて。 僕は張り裂けそうな胸の痛みを抱えて、決して消えることのない後悔に咽び泣くお義父さんを、ただじっと見つめることしか出来なかった。

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