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夜鷹(よたか)30 side楓

「ほらほら那智さん、楓を離して。あんたが力いっぱい抱き締めたら、楓、窒息するでしょうが」 場にそぐわない、呑気な声に。 涙がピタリと止まった。 不思議なことに、亮一さんの声を聞いたら、色んな感情がぐちゃぐちゃに渦巻いてた心が、静かに凪いでいくような気がした。 お医者さんって、やっぱすごいな… 「…おまえ、なんでここにいるんだよ。ここはおまえの管轄じゃねぇだろ。俺は、ここの病棟の看護師を呼んだんだが?」 「休憩中だから、久しぶりに楓の可愛い寝顔でも拝もうと思ってたら、ナースステーションの横通った時に那智さんの叫び声が聞こえたからさぁ。俺が見てくるからって、看護師は断ったよ」 亮一さんに言われて、しぶしぶ俺を離しながらじろりと睨んだ那智さんに、亮一さんはおどけたように肩を竦める。 「あーあ、派手に倒しちゃって…これ、違うのにした方がいいな」 そうして、もう一度ナースコールを押して、替えの点滴セットを頼むと。 優しい顔で俺に微笑みかけ、針が抜けて血が溢れている腕の処置を始めた。 「話は、那智さんから大方聞いたよ。東帝会病院なら、日本でも指折りの優秀な病院だし。最新鋭の治療を施してくれているはずだから、任せておけばいい」 「ほんと?」 「ああ」 「志摩、助かるよね?」 「みんな、全力を尽くしてるはずだよ。だから君は、今は自分の身体のことだけ考えて。君だって、とても大切な時期なんだから」 そう言われて。 俺は首を傾げる。 「…大切な時期、って…なにが?」 「え…?自分で、気付いてなかったの?だって、経験あったでしょ?」 「経験、って…?」 「…最近、熱っぽかったり、怠かったりしなかった?」 「…した…」 「食欲が落ちたり、ごはんの匂いに気持ち悪くなったことは?」 「…あった…かも…」 「昔、同じような経験、したでしょ?」 亮一さんの言葉に。 苦しすぎて記憶の奥底に沈み込ませていた遠い記憶が、甦ってきた。 まさか 「…あか…ちゃん…?」 信じられない思いで、恐る恐る訊ねると。 亮一さんはにっこり笑って、大きく頷いた。 「ここ…ちゃんといるよ?楓と、蓮の、赤ちゃん」 そうして、ゆっくりと俺のお腹に手を当てる。 「…うそ…だって、もう、出来ないって…」 「でも、可能性はゼロじゃないって、誉先生がずっと言ってただろ?」 「そうだけどっ…でもっ…」 「運命の番となら、奇跡だって起こせるかもしれないって。起きたんだよ、奇跡が」 「…ほんと…に…?ほんとに、ほんと…なの…?」 「ちゃんと、誉先生が心音も確認してる。後で、エコー写真持ってきてやるよ」 信じられない… そりゃ、蓮くんと二人で信じてみようって そう言いあったけど… 蓮くんは信じてくれてたけど… まさか、こんなに早く授かるなんて… 亮一さんがお腹を擦っても、実感なんてまるでなかったけど。 「おめでとう、楓」 亮一さんが笑顔で告げた、その言葉に。 「おめでとう、柊。良かったな」 那智さんが笑顔で告げた、その言葉に。 あの時は誰にも言われなかった、その言葉に。 突然、涙が溢れた。 きて、くれたんだ… もう一度、俺のところに…… こんな俺のところに もう一度きてくれた…… 自分の手を、そっとお腹の上に置いてみる。 ぺったんこのお腹は、まだなにも感じることが出来なかったけど。 そこに蓮くんとの新たな命が宿ってるんだと思うと、それだけでまた、新たな涙が溢れる。 「ただ、君は切迫流産の可能性があった。だから、誉先生の診療所から、この病院に運んだんだ。大切な赤ちゃんを守りたいなら、今はネガティブなことは考えずに心穏やかにベッドの上でじっとしていること。志摩くんのことは、あっちの病院に任せるしかないから。いいね?」 「…はい」 少し真剣味を帯びた亮一さんの言葉に。 俺は小さく頷いた。 志摩… ごめんね… 志摩がこんな時に こんなこと考えるの不謹慎だけど やっぱりすごくすごく嬉しいんだ 蓮くん… 早く君に伝えたいよ… きっといっぱいいっぱい喜んでくれるよね 最近、涙腺の弱くなってる君だから もしかしたら泣いちゃうかも そしたら俺もまた泣いちゃうかな…? 二人で泣きながら きてくれてありがとうって言おう だから 早く戻ってきて………

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