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天女(つばくらめ)7 side楓
数日ぶりに触れたピアノにテンションが上がって、朝からぶっ通しで弾き続け。
さすがに少し疲れを感じて、鍵盤から手を離した。
顔を上げ。
見上げた窓の外は、抜けるような青空。
雲一つない大空を、大きな一羽の鳥が羽ばたいていくのが見えて。
なんとなく、その自由な姿を目で追いかけていると。
「柊、ケーキ買ってきたけど、食べれるか?」
那智さんがひょこっと顔を出し、手に持ったケーキの箱を掲げて見せる。
「あ、食べる!」
「なら、下に来いよ。誉も、患者途切れたから休憩にするって」
「うん」
誉さんに借りていた電子ピアノの電源を切り、蓋を閉め。
那智さんを追いかけて、階段を小走りに下りようとすると。
「わーっ!バカ!そーっとゆっくり下りろ!」
那智さんに、怒られた。
「あ、そっか」
「おまえは、もうちょい妊夫の自覚を持て!転んで、腹の中の子どもになんかあったらどうすんだ!今度やったら、ベッドに縛り付けておくからな!」
「ごめん。気を付けます」
「ったく…少し元気になったと思ったらこれだ。成松がしばらく仕事休みにしてくれて、よかったわ。おまえの自覚がこれじゃ、なにがあるかわからん」
「別に、仕事は大丈夫なのに…」
「そう言って、おまえはすぐに無理すんだろうが。ピアノが弾きたきゃ、誉の電子ピアノを一日中弾いとけ。そうすりゃ、診療所に来る患者も喜ぶし」
「え?そうなの?」
「ああ。おまえのピアノの音がBGM代わりになって、待合室がいつもよりリラックスした雰囲気になってるって、誉が感謝してるぞ?」
「そっか…よかった」
二人には世話になるばっかりで心苦しかったから、その言葉にほっとしながら、一階の診療所の奥にあるリビングへ入る。
「コーヒー淹れるから、おまえは座ってろ。…って、あー、コーヒーはまずいか。じゃあ、柊はオレンジジュースな」
「ええー、なんか俺だけ子どもみたい」
「うるせ。我慢しろ」
口を尖らせながら、もうダイニングテーブルに座っていた誉さんの向かい側に腰を下ろすと。
読んでいた新聞を折り畳みながら、誉さんがクスクスと楽しげに笑った。
「那智は過保護だねぇ。コーヒーの一杯くらい、大丈夫だと思うけど」
「おまえ、医者のくせに適当だな!カフェインは妊夫には良くねぇ!常識だろ!」
眉を吊り上げて誉さんに怒鳴り、ふいっと背中を向けてキッチンに入っていく那智さんの背中を。
二人でこっそりと笑いながら見つめる。
「しょうがない。うちにいる間は、コーヒーは我慢するんだね」
「うん、わかった」
頷くと、誉さんはいつも患者さんを安心させる優しい微笑みで頷き返して。
また、新聞を広げた。
ゆったりと新聞を読みながら、時々顔を上げ、カウンター越しに見える那智さんの姿に愛しそうに目を細める誉さんと。
キッチンに立ち、その視線に気付いて照れ臭そうな顔をする那智さんと。
昔、よく見ていた光景に懐かしさを感じながら。
それでも、あの頃とは違う気持ちでそれを見ている自分を感じる。
あの頃は
二人の姿に寂しさを感じていた
羨ましくて仕方なかった
俺には決して作れない光景だと思ってたから
でも今は違う
すぐ側に蓮くんがいなくても
蓮くんの優しい眼差しを
愛してるって言ってくれる優しい微笑みを
俺を抱き締める熱い腕の感触を
いつでも思い出すことが出来る
蓮くんの心をいつも感じることが出来る
そして
この子を………
左手の薬指に填めた指輪を撫で、その手をお腹に当てると。
それだけで、ふんわりと温かいものが胸に広がって。
思わず、笑みが溢れた。
「…柊?お腹、どうかした?」
お腹に手を当ててる俺に、誉さんが少し心配そうに身を乗り出して。
俺は、笑顔で首を横に振る。
「ううん。俺、あの頃からじゃ考えられないくらい、今幸せだなぁと思っただけ」
そう答えると、誉さんは嬉しそうに目を細めた。
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