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天女(つばくらめ)30 side楓

しばらく志摩の病室で過ごし。 俺と蓮くんは那智さんをその場に残して、別の病棟にある特別室に向かった。 「緊張してる?」 エレベーターの中で無意識に両手を握り締めていた俺を、蓮くんが心配そうに見つめる。 「…うん、少しだけ…」 正直に頷くと、握り締めた俺の手を解き、自分の指を絡めてぎゅっと握ってくれた。 「大丈夫。でも、少し驚くかも。たぶん、楓が覚えてるお父さんとはずいぶん変わってしまったから…」 俺を安心させるような優しい微笑みの中に、でも隠しきれない寂しさが滲んでいて。 繋いだ手に、今度は俺が力を込める。 蓮くんは、ちょっとだけ眉を下げ、小さく頷いて。 俺を引き寄せると、唇に触れるだけのキスをした。 唇が離れた瞬間、エレベーターのドアが開いて。 蓮くんに手を引かれて降りる。 「お疲れ様です」 エレベーターのすぐ側に立ってたスーツ姿の男性に会釈をした蓮くんに習って、俺も頭を下げ、しんと静まり返った廊下を進んだ。 奥に進む毎に、自分の鼓動の音が大きく響く。 …どうしよう… 少し 怖い でも…… 「…楓」 じっとりと汗ばんだ手に気付いたのか、一番奥のドアの前で蓮くんが心配そうに俺の顔を覗き込んだ。 「無理して会わなくてもいいんだぞ?」 気遣わしげにそう言ったけど、俺は小さく首を横に振る。 「…ううん…ここで会わないで帰ったら、もう二度と九条のお父さんと向き合えない気がする。俺、九条のお父さんに聞きたいことがたくさんあるんだ。それに…伝えなきゃいけないことも、たくさんある」  「…そっか。そうだな」 俺の言葉に、蓮くんが頷いて。 病室のドアを、開いた。 途端、飛び込んできたのは、ピッピッと命の音を伝える、冷たい機械の音と。 ベッドに横たわり、酸素マスクやたくさんの管が繋がれて眠る、九条のお父さんの姿。 「…楓、さん…?」 その場で足がすくんでしまった俺を、知らない声が呼ぶ。 反射的にそっちへ視線を向けると、カタンと椅子を鳴らして立ち上がった初老の男性が、足早に俺へと近づいてきた。 「来て…くださったんですね。ありがとうございます。社長は、本当はずっとあなたに会いたがっていらっしゃいましたよ」 「…あの…」 まるで俺を知ってるかのような口振りで涙ぐんだその人に、俺は見覚えがなくて。 戸惑いながら、蓮くんに助けを求める。 「お父さんの秘書の、佐久間祐介さんだよ。まぁ、顔を合わせたのはそんなに多くないから、覚えてないかもしれないけど」 そう言われたけど、やっぱり記憶にはない。 もしかして この人も俺の知らないところで俺を見守ってくれてたのかな…? 「ごめん、なさい…」 申し訳なさに肩を小さくすると、その人は小皺の刻まれた目元に優しそうな微笑みを浮かべ。 「いえ、私のことなど、どうでもいいんです。それよりも社長にお顔を見せてあげてください」 俺を、眠る九条のお父さんの側へと、誘った。

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