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鳳凰(ほうおう)9 side楓

三日後。 ようやく仕事に復帰することになった俺は、いつもより2時間早くホテルの控え室に入った。 今夜の曲の楽譜をベッドの上に広げて確認していると、部屋をノックする音が。 「ヒメさん、お客様をお連れしました」 「はーい」 聞き慣れたスタッフの声に立ち上がり、ドアを開く。 「ありがとう。いらっしゃい、志摩」 案内してくれたスタッフにお礼を言って、その後ろに立ってた志摩に笑顔を向けた。 仕事復帰が決まった時 たまたまタイミング良く志摩からメールがきて 復帰のことを話したら どうしても聞きに行きたいって言ってくれたから だったらその前に少しおしゃべりしようってことになったんだ 「お仕事前に、お邪魔してすみません」 世絆を抱っこした志摩が、笑顔で頭を下げる。 「ううん。俺こそ、聞きに来たいって言ってくれて嬉しかったよ」 「あの…もう一人連れてきたんですけど、いいですか?」 部屋に入るように促そうとしたら、そう言われて。 一瞬、ドキッとした。 「え…」 「あ、龍さんじゃないです。小夜さんです」 「ええっ!?」 狼狽えた訳がわかったのか、慌てて志摩が首を振って。 その口から出てきた名前に、俺は思わず廊下へと顔を出す。 「…小夜、さん…」 身を小さくして廊下の壁にぴったりとくっつき、所在なさげに俯いて立っていたその人の名前をそっと呼ぶと。 弾かれたように顔を上げた。 「…楓、さん…」 一瞬で涙が溢れ、頬を濡らす。 俺は微笑んで、記憶の中よりも白髪が増え、少し小さくなったように見える彼女へとゆっくり近付いた。 「お久しぶりです」 「楓さんっ…」 「こんなところで立ち話もなんですから、部屋の中へどうぞ?」 今にも泣き崩れそうな背中に手を添え、シワの増えた手を取る。 その瞬間、あの絶望の中で必死に励ましてくれた温かい手の感触を思い出して。 込み上げる涙を堪え、部屋の中へと招き入れた。 そのまま備え付けの小さなソファに座らせると、ぎゅうっと俺の手を握り返してくる。 「申し訳ありませんっ…私にあの時もっと勇気があれば、楓さんにご苦労おかけすることなんてなかったのに…本当に申し訳ありませんっ…」 その手に額を擦り付け、まるで神へ懺悔するように謝罪の言葉を繰り返す背中を、そっと抱き締めた。 「謝らないでください。小夜さんが謝ることなんて、なにもないんです。あの時…赤ちゃんを奪われて、絶望しかなかった俺に、あなただけが寄り添ってくれた。それだけが、唯一の救いだった。俺、赤ちゃんを一緒に育てようって言ってくれて、本当に嬉しかったんですよ?その時の感謝の気持ちをずっと伝えたかったのに、伝えるのがこんなに遅くなってしまって…俺こそ、申し訳ありませんでした」 「楓さんっ…」 「あれから、いろいろあったけど…俺は今、すごく幸せです。蓮くんと番になって、結婚もして、赤ちゃんも…だから、もう俺のことは心配しないでください。俺は今、本当に幸せなので」 「っ…楓、さん…」 「そうだ。俺の一番得意な料理、知ってますか?」 「え…?」 「あの、高校に行けなくなった時に教えてもらった、小夜さんの肉じゃがなんです。蓮くんも、同じ味だってすごく喜んでくれて…今度、作るので食べてもらえませんか?」 そう言うと、小夜さんは涙で濡れた顔を上げて。 「ええ、ええ…是非…」 ようやく、笑顔を見せてくれた。

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