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鳳凰(ほうおう)26 side楓
反対されるのを想定していたけど、主治医の先生はあっさりと一時退院を許可してくれて。
その日は念のために病院で一晩待機してくれるという先生のご厚意に甘え、3人でホテルに泊まることにした。
「親子水入らず、いい思い出を作ってくださいね」
話を聞いた看護師さんに言われた言葉に、胸がぎゅっと締め付けられたけど。
今は余計なことを考えず、この瞬間を笑顔で過ごすことだけを考えようって蓮くんが言ってくれて。
俺は頷いて、つい感傷的になる心を無理やり胸の奥に押し込めた。
当日は蓮くんはお休みを取って、午前中はお父さんを連れて九条のお屋敷へと戻り、俺の仕事の少し前にホテルの控え室にやってきた。
「緊張してるのか?」
車椅子に座ったお父さんは、俺の顔を見るなりそう言った。
「…少し」
なんでわかったんだろうって驚いてると、お父さんはすごく優しい顔で微笑む。
「変に気負う必要はない。私はその辺に転がってるじゃがいもだと思って、いつもの楓の演奏を聞かせてくれればいいから」
「…じゃがいも…」
お父さんの言葉に、後ろに立ってた蓮くんが変な顔をした。
「なんだ?」
「いえ…ずいぶん大きなじゃがいもだと思って」
「例え話だろうが。そんなこともわからんのか」
ちょっとムッとしたお父さんは、また子どもみたいで。
仲良さげな二人の会話に笑みが溢れ、同時に少しだけ感じていた緊張がするりと解けるのを感じる。
「お父さん、なにかリクエストはありますか?」
睨み合う二人の間にそっと割って入ると、お父さんは少しだけ考えて。
「…ショパンのノクターンを」
そう言った。
「昔、諒が私のためにいつも弾いてくれた曲だ」
「え…」
「まだ幼かった諒が初めて弾いたときに、誉めてやったんだ。その時の諒は本当に嬉しそうに笑って…。それから、何度も何度も私のために弾いてくれた。諒の奏でるノクターンのメロディに包まれる時間が、私の唯一心安らげる時間だった」
その言葉に、幼い頃の光景が頭の中に甦る。
常にカーテンの引かれた薄暗い部屋の中で
とても幸せそうにピアノを弾くお父さんの横顔
それは決まってショパンのノクターンを奏でている時
その音はとても美しくて…
お父さんと同じように弾きたいと
幼い俺は来る日も来る日も繰り返し練習した
「楓が奏でるノクターンを初めて聞いたとき…諒がいかに楓を愛していたのかを感じた。その音は、諒そのものだったから。諒が自分の全てをかけておまえを愛していたのだと、私たちの愛の結晶を守ろうとしていたのだと、それがわかったから…」
目の前のお父さんの優しい眼差しに。
思い出の中のお父さんの優しい眼差しに。
涙が溢れた。
「ああ…すまない。演奏前に心を乱してしまったな…」
泣き出した俺を見て、お父さんが困ったように眉を下げ。
俺へと腕を伸ばす。
けれど、少し離れていた場所に立っていた俺には届かなくて。
俺は前へと踏み出し、お父さんの前に跪くと、細くなってしまったその手を、自分の濡れた頬に押し当てた。
その手はとても温かくて。
触れた頬から、じわりとあったかいものが身体中に広がった。
「俺…心を込めて、弾きます。お父さんたちのために。だから、受け取ってください」
俺の心からの感謝と愛を…
「…ああ。楽しみにしているよ」
微笑んだお父さんの瞳にも、光るものが見えた。
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