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鳳凰(ほうおう)27 side楓
その日の演奏は、不思議な感覚だった。
確かにいつものホテルのフロントロビーで弾いているはずなのに、幼い頃のアパートで弾いているような感じがしたり、九条のお屋敷の一番奥の部屋にいるような感じがしたり。
過去と現在を行ったりきたりするような感覚。
普段はお客様が主体の場所だから、自分の感情はなるべく出さないように気をつけてるのに、今日に限ってはどんなに冷静になろうとしてもダメで。
3曲弾いたところで、思わず蓮くんとお父さんを振り向いたら、蓮くんが微笑んで頷いてくれたから。
そこからは開き直って、今日だけはと心の赴くままに弾かせてもらった。
苦しみや悲しみ
絶望と孤独
そのなかでも確かにあった細やかな希望
人の優しさ
温かさ
愛し愛されることの喜び
俺を見守ってくれる全ての人への感謝
俺の中に溢れる感情を全て残らず音に乗せて。
そして、最後に選んだショパンのノクターン。
お父さんたちにもらった、なによりも大切な曲。
俺を愛してくれた二人のお父さんへの、今の俺に出来る最大級の愛と感謝を込めて。
一音一音に魂を打ち込むような気持ちで弾いた。
最後の音を弾き終え、鍵盤から手を離すと。
びっくりするくらい大きな拍手が沸き起こって。
顔をあげると、周りには今まで見たこともないくらいのたくさんのギャラリーのお客様がいた。
「ヒメちゃん、最高!」
その中から声が上がると、次々に「ブラボー」とか「素晴らしかったよ!」って声が聞こえてきて。
俺を見るお客様の温かい眼差しに、熱いものが込み上げてくる。
「ありがとう、ございました」
泣きそうになるのを堪え、深く頭を下げると、また大きな拍手が俺を包み込んで。
堪えきれなかった涙が一粒、磨き上げられた床にポトンと落ちた。
「…ごめんなさい、お父さん」
人垣の一番外側からずっと俺を見守ってくれたお父さんに謝ると、困った顔をした。
「なぜ、謝る?」
「だって…今日の俺、なんかすごく感情的で…ぐちゃぐちゃで全然良くなかったです。本当は、いつもの演奏を聞いてもらいたかったのに…」
たくさんの拍手をもらって、嬉しかったけど。
冷静になって考えると、やっぱり今日の演奏は全然いいものじゃなくて。
せっかく、お父さんに聞いてもらえるチャンスだったのにとひどく落ち込んでると。
お父さんは微笑んで、俺の手をぎゅっと握る。
「そうかな?私は今日の楓の演奏は、とても良かったと思うよ?みんなの拍手が、それを教えてくれていただろう?」
「でも…」
「人の心を動かす演奏というのは、正確さやテクニックではない。今日の楓の音には、楓自身の心が乗っていた。楓の喜びや悲しみ…その全てが聞いている人たちの心を強く揺さぶった。みんなを感動させたんだ。人の心を動かすのはまた、人の心なんだよ。私は、そんな風にみんなを感動させることが出来る楓のことを、誇りに思う」
「お父さん…」
「ありがとう。素晴らしい演奏だった。本当にありがとう」
優しい言葉に、また涙が溢れて。
俺がお父さんの手を強く握り返すと、蓮くんがそっと自分の手をそこに重ねた。
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