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鳳凰(ほうおう)34 side楓

入院、といっても、やることは薬を飲んで安静にしているくらいしかなくて。 ただベッドに横になっていると、思い出したくもない過去のことばかり思い出してしまって。 ひどく気が塞ぎ、時には過呼吸を起こしかけたりしたけど、その度に紫音先生が来てくれて、手を握って話を聞いてくれた。 静かな細波ひとつない、凪いだ海のような瞳で。 先生は俺が話す間ずっと黙って耳を傾けてくれて。 話し終わった後、まるで自分が苦しかったような顔で「よく頑張ったね。辛かったね」って、そう言った。 その言葉ひとつで、救われたような気持ちになって。 心が少し軽くなるのと比例して、体調も少しずつ上向いてきて。 入院して1ヶ月を過ぎる頃には、動悸や息苦しさも殆ど感じなくなってきていた。 「今日は、すごく顔色いいな。なにか、いいことあった?」 いつも仕事帰りにお見舞いに来てくれる蓮くんは、俺の顔を見るなりそう言った。 「うん。もしかしたら、来週くらいに家に帰れるかもって」 「そうか!よかったな」 俺の報告に、本当に嬉しそうに微笑んでくれる。 「じゃあ、その日は俺が夕飯作るよ。何が食べたい?楓の好きなものにしよう」 「え?お粥以外、作れるの?」 「失礼な。作れるよ」 「だって、料理なんて発情期以外でしたことないじゃん」 「最近、ちょっと練習してるんだよ。双子が産まれてきたら、楓しばらくは家事とか出来ないだろ?だから、料理くらいは出来るようにならないとって思ってさ」 少しだけ恥ずかしそうに告げられた優しい気遣いに、胸がじんと熱くなった。 「…なんでもいいよ。蓮くんが作ってくれるなら、なんでも美味しいもん」 泣きそうになるのを堪えて、笑顔を作ると。 蓮くんも笑って俺の手を取る。 「じゃあ、唐揚げにしよう。楓、好きだろ?」 「うん。楽しみにしてる」 繋いだ手を軽く引いて、倒れてきたその大きな胸に顔を埋めた。 「…あのね、赤ちゃんの名前、やっと決めたよ」 「そっか」 1ヶ月、不安定な俺を急かすことなく待っててくれた蓮くんの手が、ゆっくりと俺の髪を梳く。 俺は深く息を吸って、その名前を大切に唇に乗せる。 「(なぎ)」 この子たちがαかΩかわからないけど 風のない穏やかな海のように 穏やかで静かな人生になりますように そんな願いを込めて 「凪、か。いいね、素敵な名前だ」 どうかなって顔色を伺うと。 蓮くんは優しい微笑みで頷いてくれた。 「蓮くんは?どんな名前にしたの?」 ほっとしつつ、訊ねると。 「(かい)、はどうかな?」 俺の手のひらに、櫂という漢字を指先で書く。 「櫂って、水をかいて船を進める道具…オールみたいなもののことなんだ。自分の手で人生を切り開いて進んでいける人間に育って欲しい。努力を惜しまない、強い人間になって欲しい。そんな願いを込めて。それに、海もかいって読むだろ?同じ響きもいいかなって」 そうして、見慣れない漢字に首を傾げる俺に、優しい眼差しで教えてくれた。 「櫂…」 蓮くんが付けてくれた名前を噛み締めるように呼びながら、お腹を撫でる。 「凪」 蓮くんが、俺の付けた名前を呼びながら、その手に自分のを重ねると。 ぽこ、ぽこ、と振動が二回、伝わってきた。 「気に入ってくれたみたいだな」 「うん、そうだね」 思わず顔を見合わせ、笑いあった時。 病室に、携帯の着信音が鳴り響いた。 「やべっ、切るの忘れてた」 ポケットに入れてあったスマホを慌てて取り出し、その画面を見た瞬間。 蓮くんの顔が、強張る。 「蓮くん?」 「…お父さんの病院からだ」 その言葉が耳に入ったと同時に、ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。 「はい」 そのままドクンドクンと耳元で大きく鳴り響く音で、蓮くんの声がよく聞こえない。 「…わかりました。すぐに向かいます」 通話を終え、俺を見た蓮くんの表情は、見たこともないほど硬くて。 それだけで、悪い話だってことがわかった。 「…お父さん、危篤だって」 聞きたくなかった言葉が耳に飛び込んできて、またドクンっと大きく心臓が跳ねる。 瞬間、今まで感じたことのない強い痛みが胸を貫いて。 息が、詰まった。 「俺、今から向こうの病院に…楓っ!?」 酸素を取り込もうと口を開いても、空気が入ってこない。 「楓っ!どうした!?楓っ…」 酷い耳鳴りがして、蓮くんの声が遠くに聞こえる。 酷い悪寒に、全身から冷や汗が一気に噴き出し、グラグラと視界が大きく揺れて。 「楓っ!!」 再び強い痛みを胸に感じた瞬間。 視界が突然、ブラックアウトした。

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