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番外編 鴎(かもめ)8 side楓
手回しのいい和哉の計らいで、それからはトントン拍子に話が進み、一週間後にはホテル内の保育所での慣らし保育が始まった。
しばらくは、お客さまの少ないお昼頃の2.3時間だけ預けて、その間ロビーのピアノで練習させてもらうことに。
最初こそ、凪は俺と離れたがらなくて泣いて抵抗したけど、それも5日も経たないうちに慣れたみたいで、泣くことはなくなったし。
櫂に至っては、初日から俺に手を振って自ら保育士さんのところに行っちゃう始末。
いいんだよ…?
いいんだけどさぁ…
なんかちょっと親としての自信なくしちゃいそ…
「どうした?調子悪い?」
鍵盤から手を離し、無意識に溜め息を吐くと。
いつの間にか側に立ってた蓮くんが、心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「あ、いや…そんなんじゃないよ、大丈夫」
慌てて笑顔を張り付けてみたけど、蓮くんには通用するわけもなく。
ぽんぽんと宥めるように肩を叩かれる。
「凪と櫂なら、心配しなくても大丈夫だ。さっき覗いたら、保育士さんたちと楽しそうに遊んでたよ」
「へぇ、そう…」
的外れな言葉に、つい不機嫌な声が出てしまって。
驚いたような表情に変わった蓮くんを見た瞬間に、やらかしたと気づいたけど、時既に遅し。
「…少し休憩しない?俺、ちょうど飯行くとこだったし、たまには二人でランチしよう」
なにかがわかったように目を細めた蓮くんが、俺の肩に置いた手にぎゅっと力を入れた。
「…いい。時間、限られてるし。練習しなきゃ」
「たまにはいいだろ。あんま根詰めすぎても良くないし。ほら、いくぞ」
そのまま半ば強引に立ち上がらされて。
上のフロアにある日本食レストランへと連れていかれる。
「…で?何を悩んでるんだ?」
言われるがままに、オススメの焼き魚ランチを頼み。
運ばれてきたお茶をちびりと飲んだところで、蓮くんが静かに訊ねた。
「…別に。悩んでないし」
「ふぅん…じゃあ、言ってくれるまで解放してやんねぇ」
「は?仕事は!?」
「そんなもん、和哉に押し付けとけばいいし。今日は特に重要な会議とかもないしな。俺がいなくたって、なんとかなる」
腕組みをして、どっかりと椅子に腰を落ち着けた蓮くんの目は本気モードで。
逃すつもりはないって、視線だけで訴えてくる。
「…しょーもないことだよ」
「それでも聞きたい」
それでも抵抗を試みたけど、食い気味に一蹴されて。
俺は観念して、大きく息を吐き出した。
「…櫂、さぁ…」
「うん」
「全然、泣かないよね」
「え?」
「預けた初日からさぁ、なんか楽しそうだし…なんか、一緒にいるのが俺じゃなくてもいいのかな…なんて…」
でも、いざ口に出してみると、なんだかひどく子どもっぽいことをぼやいてるのがわかって。
「…ごめん、やっぱなんでもない。今の…」
「そんなことないだろ。家に帰ると、楓にべったりじゃん。最近俺なんて見向きもされないし」
慌てて、聞かなかったことにしてもらおうとしたら、苦笑気味に遮られる。
「そう、かな…」
「そうだよ」
それから、少し考える素振りをして。
「なんとなく、だけど…あいつ、わかってるんじゃないかな?今、ママが大切な時だってこと」
突然、そんなことを言った。
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