536 / 566
番外編 鴎(かもめ)11 side志摩
そのまま、5月の最初の土曜日で結婚式を予約して。
もう少しだけ時間があるという蓮さんと一緒に、一階のラウンジでお茶することになった。
僕と龍さんは、今夜はこのままこのホテルに一泊する予定だ。
「そういえば世絆は?連れてこなかったのか?」
「はい。せっちゃん、最近やんちゃ盛りでじっとしてられなくて…せっかくのヒメさんの復帰リサイタルなのに、せっちゃんがいたら集中出来ないだろうからって、小夜さんが言ってくれたので」
僕たちがいるラウンジのすぐ横には、まだ蓋の閉まってるグランドピアノが置かれてる。
あと数時間後に、そこに座って幸せそうにピアノを弾く柊さんの姿を思い浮かべると、僕も幸せな気持ちになった。
「リサイタルじゃないけど…そうか、小夜さんに感謝だな」
「はい。ついでに、たまには夫婦水入らずでゆっくりしてきてくださいって言ってくれて。ホント、小夜さんには感謝しかなくて…今度なにかお礼しなきゃ」
「そうだな。うちもちょこちょこ双子が世話になってるし…今度、温泉旅館でも招待しようか。うちのグループで、長野にいい宿があるんだ」
「いいですね!あ、じゃあせっかくだから僕たち家族と蓮さんたち家族と、みんなで行きませんか?ね?」
蓮さんの素敵な提案に嬉しくなって、隣に座る龍さんに同意を求めると。
なぜか、龍さんは肩を小さくして困ったように眉を下げる。
「龍さん?」
「俺…本当にいいのかな…?今日、ここにいて…」
普段のハキハキと喋る龍さんとは別人みたいな、小声でボソボソとそう言うから。
僕は一瞬、返す言葉を失った。
「…楓が、自分で今日を復帰の日に決めたんだ」
戸惑う僕の代わりに、蓮さんが優しい声で言いながら、そっと龍さんの肩に手を置いて。
「顔を合わせたくないなら、わざわざそんな日を選ばないよ」
ポンポンと、励ますようにその肩を叩く。
「そ、そうだよ!僕にお知らせしてくれたメールにも、龍さんのことはなにも書いてなかった。僕たちが二人で今日ここに来るって柊さんだってわかってるんだから、二人で見て欲しいってことだよ、絶対!」
蓮さんの行動にはっと我に返って、慌ててそう伝えると、龍さんは少しだけほっとしたように息を吐いた。
「そう、なのかな…本当に、大丈夫…?」
「大丈夫だよ」
「大丈夫だって!」
それでもまだ不安そうにボソボソと呟く龍さんに、僕と蓮さんの声がハモる。
「この席、リザーブしておくよ。ここが、ヒメの演奏をゆっくり聞くには一番いい席なんだ。二人でヒメの復帰を見守ってやってくれ」
蓮さんが、柊さんとよく似た優しい微笑みで、そう言って。
「…うん。ありがとう、兄さん」
頷いた龍さんの瞳に、涙が滲んだように見えた。
ともだちにシェアしよう!