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第29話

「実の父親と同じ誰かを傷つけるような行為を、いつか俺もしでかすんじゃないかと怖くてさ。なんの落ち度もない部下たちをオメガという理由だけで遠ざけるために必要以上に冷たく接していたよ。上司として本当に失格だと思う」  俺はふうと息を吐いた。  まだ少し熱の籠る体がだるい。  でも俺は誰かにずっと聞いて欲しかった。誰にも話せない自分の中で燻ぶり続ける長年の恐怖とコンプレックスを。 「誰も襲わないように常に抑制剤は服用していた。それでも町の中や職場でちょっとでもフェロモンの甘い香りがすると、怖くてな。そういう時は注射器型の即効性のある抑制剤も使っている。大賀が見たのはその注射の痕だ」 「ラットでもないのに日常的に抑制剤を使っていたんですか?」  大賀の表情が険しくなる。 「いや、ちゃんと病院で処方してもらったものだよ。でも最近、渋谷さんのことがあって使用量が増えてしまっていて。明日病院に相談に行こうとは思っているんだ」  慌ててそう言うと、幾分か大賀の表情が和らいだ。  こんな俺を心配してくれるなんて本当に優しい奴だと思った。 「大賀が俺のことをオメガを差別する奴だと思っているのには気付いていた」 「課長がくみちゃんのことがあった直後、最低だって呟いているのを聞いて俺誤解しました。本当にすみません」  目の前でがばっと大賀が頭を下げた。  俺は小さく首を振る。 「誤解されているのは分かっていたし、その誤解を解かなかったのは俺の責任だ。それに俺は人としても上司としても最低の部類だとういう自覚はあるからな」  自嘲の笑みをこぼすと、眉を寄せた大賀と目が合う。 「課長、どうしてそんなこと言うんですか?確かに部下に冷たくしたのは良くなかったと思いますけど、別に課長オメガの部下以外にも優しくはしていなかったじゃないですか」  率直な大賀の言葉に俺は思わずくすりと笑ってしまう。 「あっ、すみません。それに課長の父親のことは、なんていうか父親としても男としてもどうかと思いますけど。課長はそんな人間じゃないでしょ」 「でも血は繋がってる。それは消せないんだ」  そう言った瞬間、俺の瞳からぼろりと大粒の涙が零れ落ちた。  まるで俺の涙がガラス細工であるかのような繊細な手つきで、大賀がそれを拭っていく。 「そうかもしれないですけど。俺は血の繋がりよりも育った環境の方が人格形成には重要だと思ってますよ」 「そうかな。それでも」   大賀がそっと俺の唇に長い人差し指を当てた。 「課長。とにかく今は体を休めることだけを考えてください。しゃべらせちゃったのは俺のせいだけど、まだ考え事できるような体調じゃないでしょ」 「嫌だ。眠ったらきっとまた悪夢を見る」  とっさに俺は叫んだ。  大賀が困ったような表情で微笑むのを見て、しまったと俺は眉を寄せた。 「大丈夫ですよ。課長が眠っている間も俺はずっとここにいます。もしうなされたりしたらちゃんと起こしますから」  これ以上、大賀に迷惑をかけられない。  そう思っているのに瞼は重くなり、意識が遠くなっていく。  大賀に優しい手つきで髪の毛を撫でられた瞬間、俺は眠りに落ちていた。

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