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肩こり地獄
突然だが、地獄には肩こり地獄というものがある。
嘘だときめつけないでほしい。頻繁に地獄落ちしている俺がいうのだから間違いない。もっとも俺たち地獄落ちの人間(寝ているあいだに地獄で楽しくサラリーマンをやっている人間)は、亡者ではないから地獄に設置されたアトラクションは体験できない。そう、地獄アトラクションは亡者の特権なのだ。
ホラー好きには残念な話かもしれないが、数々の地獄アトラクションには、血まみれの殺人鬼(文字通り)が登場するようなものは少ない。しかし陰惨なアトラクションは存在していて、しかも人気がある。たとえば「締切地獄」だ。これは現世でもけっして落ちたくないものだが、それでも絶大な人気を誇るのは、締め切りをひとつ脱した時の快楽がとんでもないから、らしい。ここにハマったまま永遠に外へ出てこなくなる亡者も存在するという。
さて、肩こり地獄は微妙な地獄だ。地獄落ちの俺たちはときどき必要があって亡者の各種アトラクションを見学する――亡者に人気のないアトラクションは不採算部門として閉鎖されてしまうからだ。だから鬼はつねに新しい企画や広告を考えるのに必死で、地獄落ちの人間はそのために雇われているのだが――閑話休題。ともかく俺は肩こり地獄はまだ見学したことがなかった。噂に聞いた話だと、魅力を感じる一方でじつに複雑な気持ちになるものだという。
というわけでいま俺はその現場に来ている。肩こり地獄の入口には順番待ちの長い列ができていた。三角布をひたいにつけた亡者たちがおとなしく待っている。肩こり地獄に並ぶ亡者のほとんどが、生前ひどい肩こり持ちだったという。
ちなみに死んで地獄へ来ると肩こりはなくなる――地獄に来た亡者は健康体になるのだ、なにせ体は実質なくなったから――のに、どうしてわざわざこの地獄で遊ぶのか。アトラクションの見学通路へ入ったとたん、その理由がわかった。
「ああ……ああんっ…」
「あ――そこ……そこ……もっと――お願いします――あっ……うっ」
「もうすこし右……もうすこし下……ひっ――」
マットレスの上に寝そべった亡者の首がかくっとおちたが、マットレスに片膝をかけた鬼は容赦なくその背中を押した。
「あああああああっ」
広いアトラクション会場にずらりと並んだマットレスにはひとりずつ亡者が横たわるか座るかして、それぞれについた鬼は、背中にのしかかったり背後から手を伸ばしたりしている。亡者は陶然とした顔つきで、口から漏れるのは涎と快楽のうめきである。声だけきけば、十八禁行為が行われているとしか思えない。
「ああ――すごい、すご――こんな――こんなに気持ちいいなんて――もっと、もっとぉ……ああんっ」
なんだこれは。
上部の見学通路からぼうっと眺めていた俺に「どうでしょう」と鬼がたずねた。
「肩こり地獄に入ったお客様は自動的に地獄級の肩こりに襲われます。我々はこれを極上マッサージでほぐしますので、ごく短期間なら昇天級の快楽を味わえますが、終わった瞬間また肩こりがやってくる。我々がほぐす。こうして肩こり、ほぐれる、肩こり、ほぐれる、の循環が繰り返される地獄となっております」
「はあ」
俺は口をぽかんとあけているのに気がついてあわてて閉じた。
「たしかに……地獄だな。落ちてみたいような……みたくないような……それにしてもあのマッサージ、昇天級っていったい……どのくらい気持ちいいんだ」
「そりゃあもう折り紙付きで」鬼は顔をほころばせ、両手をモミモミした。
「なんでしたら試してみられますか? 亡者でなくてもお試し体験ということで」
誘惑は強かった。何しろ俺は亡者ではなく、現世ではしょっちゅう肩こりに悩まされているのだ。プレゼンテーションソフトでちまちま企画書を作っているサラリーマンにとって肩こりは宿命である。あと二秒あればうなずいていたことだろう。
ところがまさにその時、俺のすぐうしろで声が響いた。
「そんなに揉まれたいのか?」
ひえっ。
俺の首筋の毛が立った。ぞっとしたからではなく、股間と腰にダイレクトにくる驚異の美声のせいである。
「うわっ魔王、何してる――ふっふわっ」
おかしな声が出たが、魔王は聞いているのかいないのか、俺の両肩に置いた指をそろそろっと動かした。
「なるほど、すこし凝っているな」
「あっ、ああんっ」
「ここはどうだ?」
「あふっ……やぁ……こんなところで……やめ……」
なるほど昇天級、極楽行きのマッサージとはこのことか。いやここは地獄なんだから、行くのはどこだ。ああっ……。
「魔王……魔王やめて……」
魔王の指に弄ばれ、俺は突っ立ったまま情けない声を出した。
「うん、ここだ」
「あんっ」
「それにここも」
「う――ひきょうな……」
あっけなく撃沈するまえに予想しておくべきだった。鬼のマッサージが亡者をこれほど虜にするのなら、魔王のマッサージは推して知るべしである。筋肉のこわばりから一時的に解放された俺の顎はだらしなくゆるんだ。俺は垂れそうになった涎をあわててぬぐった。
「マキ……ここだけでいいか?」
卑怯な魔王の吐息が俺の耳に吹きかけられる。
「いいのか? 肩だけで終わっても……」
「あっ……ずるい……わかってるくせに……」
「マキの口からききたい」
魔王の唇は俺の耳に触れそうなくらい近く、俺は完全に敗北した。
「うっ……お願いだ……腰も……腰も揉んで……」
「そうだろうな」
勝ち誇った調子で魔王がささやいた。
「まかせろ。とっておきのやつをやってやる」
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