7 / 14
節分地獄
節分とは逆転の日である。
この日は鬼が亡者に追われる。ふだんの地獄では、亡者は鬼に各種の地獄アトラクションへ案内され、受動的にサービスを受けている。だが節分だけはちがう。どこからか地獄に降りそそぐ豆を亡者が拾い、鬼に投げつけるのだ。
「鬼は~外!」
「鬼は~外!」
鬼たちが満面の笑みを浮かべて亡者から逃げまどっているのを俺は魔王城のバルコニーからぼんやり眺めていた。遊んでいるようにしかみえないのは、実際に遊んでいるせいである。亡者が投げる豆の大半は魔王城のバルコニーまで届かないが、たまにどういう風の具合か柵を飛び越えてくるものもあって、拾って食うとけっこう美味かった。
豆は炒った大豆と殻付きピーナッツが半々くらいだが、一度は三角の小分けパックに入った柿の種も降ってきた。いったいこの豆はどこからくるのだ。まさか現世で投げられた豆をちょろまかしているのではあるまいな。
豆を投げられて降参した鬼は亡者に道をあけわたし、魔王城までやってきた亡者は高級ホテル仕様の入口ロビーで各種地獄酒(焼酎、ワイン、日本酒、ビール、ウイスキー、さらにハイボールやカクテルなども)をふるまわれている。
ちなみに今日の魔王はめったに座らない「魔王座」がおかれた謁見室にいると聞いた。鬼を豆で撃退し、入口ロビーの酒攻撃に惑わされることなく魔王座までたどりついた亡者は亡勇者と呼ばれ、明日から一年の地獄暮らしで役に立つ賞品がもらえるらしい。
正直いって、地獄の節分はなんだかよくわからないイベントだった。それに俺のように生きているのに寝ているあいだ地獄に落ちている人間は、今日のイベントにいっさい関係がないので、豆をぽりぽりしながらぼうっと見ているだけである。
ちなみに恵方巻というものはなかったが、地獄で恵方となるのはどっちだと鬼にたずねると、それはつねに魔王城の方角だと誇らしげな答えが返ってきた。それは恵方ではなく魔方と呼ぶべきではないかと俺は思ったのだが、たずねた鬼は俺の考えを読んだように「今年は地獄コンビニで『魔方巻』を売り出したんです」といった。
「豆まきの前に魔王城の方を向いて丸かぶりすると勇者になれるというやつで」
「間違ってる」俺はうめいた。
「どこの代理店だ。そんなでたらめを吹きこんだのは」
「でも大変な好評で」鬼はほくほく顔だった。
「魔王様もお喜びでした。地獄も創意工夫が必要ですからねえ」
ああ、そう。まあでもみんな楽しそうだし、いいんじゃないかな。
そうこうしているうちに下の方でどよめきがあがった。
「おおー! やったぞ、やったー!」
歓声がバルコニーまで響いてくる。亡者のひとりが魔王座へたどりついたようだ。おどろおどろしい太鼓の音や爆竹が鳴り響き、空にぱっと花火があがった。完全な地獄祭りの様相である。亡勇者はめったに出現しないから、鬼も嬉しいのかもしれない。毎年毎年おなじことばかりくりかえしていると鬼も亡者も生者もうんざりするというものだ。
そろそろ頃合いかと、俺はバルコニーから部屋へ戻った。お祭り騒ぎに乗じてロビーで一杯、おこぼれにあずかろうと思ったのだ。その時だ。
「マキ、どこへ行く」
心臓に悪い顔がドアにもたれて立っていた。メンズファッション誌のモデルみたいな立ち姿である。なぜ心臓に悪いかというと、あまりにもイケメンすぎてびっくりするからだ。ベクトルが逆にむいたホラー映画みたいなものだ。
「ひいいいいいっ魔王っ。いつのまに」
「たった今だ。今年は亡勇者があらわれたから、さっさと仕事が終わった」
魔王はぱっと手を振った。手品のように俺と魔王の前にワゴンが出現した。あれだ、高級ホテルのルームサービスを乗せてくるワゴンだ。現実にはめったにお目にかからないやつ。蓋つきの銀色の器と純白の食器がならんでいる。何の匂いかわからないが、とてつもなくいい匂いがする。香ばしくて、ちょっとスパイシーで……。
「ほら、マキ。節分ディナーだ」
魔王の手がひらめき、銀色の蓋に手をかける。俺は唾をのみこむ。蓋の下にあらわれたのは真っ白の四角い豆腐みたいなものだ。肉まんのようにふかふかしている。あれ、なんだこれ?
――そう思ったとき俺の目はぱっちりひらいた。イケメンが俺の上でにやっと笑った。心臓がはねた。
「ありがたいものだ。こんなに早い時間からマキを味わえるなんて」
「え、魔王、おい、俺はまだ何も食って……」
「大丈夫、これからが本番だ。まさに福は内だな」
まったく意味がわからない。魔王のくせに、鬼は外だ!――という隙もなく、俺の口を魔王の唇と舌がふさいだ。
「んんん、ん……」
あろうことか、とろけるように甘いピーナッツバターの味がした。いまいましいことに、俺はピーナッツバターが大好物なのである。
ともだちにシェアしよう!