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月を釣る

 地獄の鬼はマスクをつけていない。  巷のなんとかかんとかウイルスは鬼には無効なのだという。鬼の口の中にはあらゆるウイルスを焼き殺すマイクロ火炎放射器が装備され、自動的に反応するのだそうだ。  こいつをうまいこと地上の人間にも使えないのかと一度たずねてみたのだが、魔王の腹心である鬼に「無理です」のひとことで片付けられた。地獄の自然法則は人界とはちがうのだそうだ。残念なことである。  というわけで今日も地獄の鬼どもは元気で、亡者も元気、魔王も元気だ。昼間の会社が在宅勤務になったおかげで睡眠時間が増えてしまった俺は、近頃は夜な夜な地獄行きをくりかえし、三密をものともしない魔王に濃厚接触を迫られている。鬼がマスクをつけないくらいだから、魔王も当然マスクなしだ。  ちなみに今月の地獄はハッピーハロウィン月間である。鬼どもはオレンジ色のまるい籠を持ち、俺が地獄へ行くたびに鬼印のかぼちゃクッキーをくれる。地獄の空に昇る月も今月はなぜかオレンジ色。そして今夜の魔王はなぜか、魔王城のてっぺんの寝室からその月めがけて釣竿を振っている。  地獄の魔王がぎょっとするようなイケメンだって話はしたことがあったっけ? そのぎょっとするようなイケメンがどこからか取り出した釣竿をふり、手慣れた様子でリールを巻いているのだ。  なにがなんだかわからない俺の前でたちまちおいしそうな匂いのする月がひとつ釣れた。 「マキ、月が釣れたぞ。新鮮なうちに食べよう」  俺は首をかしげる。空ではいまだにオレンジ色の月が輝いている。しかし釣竿の先にも月はくっついていて、バルコニーの床にあたってぴちぴち跳ねている。跳ねるたびに甘く香ばしい匂いがする。 「なあ魔王、いったい何を釣ったんだ。月はまだあそこにあるぞ」  魔王は平然と答えた。 「いまは十月だぞ、マキ。収穫月には月が釣れるものだ」  バルコニーの床から魔王は月を両手でもちあげ、割った。オレンジ色をした月の中身は濃い黄色で、わたあめのようにふわふわしている。 「ほらマキ、口をあけるんだ。月は踊り食いにかぎる」  は? ぽかんとした俺の口の中でぱちぱちとはじける感触があった。魔王が月のかけらをつっこんだのだ。月は俺の舌の上を勝手に転がり、香ばしい匂いをふりまいて、すうっと消えてしまった。 「うまいだろう?」  魔王がニコニコしながらいった。ぎょっとするようなイケメンにニコニコされると妙な破壊力がある。俺は観念した。 「うまい」 「もっといるか?」 「くれ」  月のパリッとしたオレンジ色の皮も、黄色いふわふわした中身も、口にいれると舌の上を踊りながら溶けていく。地獄の月は甘かった。唇にくっついた月のかけらを舐めていると魔王の顔がぐっと近づいてくる。 「こら魔王、密です、密ですぞ!」 「ふふふん」  何がふふふんだ、と思ったが、誘惑には逆らえなかった。魔王の唇も月と同じくらい甘かった。

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