11 / 14
地獄の豆の木
節分の夜のことである。
俺はベッドに横になり、眠ろうとしていた。最近の俺はとても寝つきがよく、部屋を暗くするとすぐに眠りにおちるのが常だ。ところがこの夜はなかなか眠れなかった。俺は仰向けの姿勢から横を向き、また仰向けになった。腰のあたりに堅いものが当たる。眠れないのはこれのせいか。俺は暗い中でごそごそとシーツをさぐった。小さくて丸っこいものが指に触れる。
なんだこれは――と思ったとき、会社帰りに寄ったスーパーの催事場で豆まきをしていたのを思い出した。子供が歓声をあげて張りぼての鬼に豆を投げつけ、俺は試食に二粒ほどもらって食べたが、まさかあの豆じゃないだろう。
まあ、何でもいい。俺はその丸いものをつまみあげ、ろくに目もくれずにベッドの外へぽいっと投げ、また目をつぶった。
ゴゴゴゴ…と地鳴りのような音がした。
なんだ、今度は地震か!
俺は飛び起きようとして――ひっと悲鳴をあげた。なぜなら俺が眠っていたはずのベッドも部屋もどういうわけか跡形もなかったからだ。
俺は緑色をした太く高い木の上に立っていた。はるか下に地面があるのが見えたので、あわてて手をのばしていちばん近い枝らしきものをつかむ。あたりにはわさわさと緑色のまるい葉が茂っているが、俺はパジャマ姿で裸足だ。なんだなんだこれは!
見上げると、葉っぱのすきまに雲の渦巻く空がのぞいている。俺が立っているのは太い幹の分岐のようなところだ。上がどこまで伸びているのかは葉っぱに阻まれて見えないし、そうっと下をのぞいて、俺はたちまち後悔した。
この木、とんでもない高さがあるぞ。どどど、どうしよう。上に行くか下に行くか――って、下に行くしかないじゃないか。降りよう。降りるべきだ。
太い枝の脇のあたりからはくるくる巻いた蔓が伸びていた。幹や枝にはボルタリングの突起のようなものがたくさん突き出ている。俺は蔓を手首に巻き、突起を手がかり足掛かりにして木をおそるおそる降りはじめたが、思ったよりも簡単なのがすぐわかった。手首に巻きつけた蔓は登山のザイルのようにしっかりしていて伸縮性があったから、枝や幹の突起を掴みながらぶらんぶらんと降りて行けばいいのだった。ただ下をのぞくと怖くなる。前だけをみているのが重要だ。
コツを掴むと楽しくなって、俺は鼻歌を歌いはじめた。ホップ、ステップ、ジャンプ! なんとなく周囲が明るくなってきたような気がするし、下の方からはそよ風が吹いてくる。お、音楽まで聞こえてくるぞ。聞いたことのある音楽だ。ちゃんちゃーちゃらららちゃんちゃんちゃらららちゃんちゃんちゃららら……そうそう、これは……カステラのCM曲だ! なんていったっけ、たしか地獄……天国と地獄。そうだ、あれだ! 運動会で流れるやつだ!
耳を澄ますと、聞こえてくるのは音楽だけではなかった。パチパチパチ…という拍手やワーッという歓声も響いてくる。俺はそうっと下をみた。地上はずいぶん近くなり、人がうろうろしているのがわかる。もっとよく見ようとしたとき、どこからかうなりをあげて飛んできた何かが俺の顔を直撃し、パジャマの胸の中にころころと入った。
「うわっ」
俺はあわててパジャマの中に手を突っこんだ。ひとつじゃない、ふたつも入っているぞ。掴みだしたそれはタマゴくらいの大きさの楕円形の玉で、それぞれ真っ赤と真っ白な色をしている。軽いから痛くはなかったが、どうしてこんなものが……。
その時だった。
「マキ様! 遅くなって申し訳ありません!」
聞き覚えのある声がきこえた。地獄の鬼が俺に向かって大きく手を振りあげている。地獄落ちのたびに必ず会う鬼で、魔王の腹心だ。
俺の視線の先の空中には豆の鞘のような乗り物がふわふわ浮かんでいた。地獄の鬼は鞘のなかの座席から手を振っている。
「せーの!」
下から大きな掛け声と歓声が響いた。俺は空中から笑いかける鬼にとりあえず手を振ったものの、下をのぞきこまずにはいられなかった。巨大な籠がふたつ、支柱の上に乗っているのがみえた。支柱の周囲を人々がとりかこんで、てんでに何か投げている。
「せーの!」
急かすような音楽を背景に赤い玉と白い玉が宙を飛び、籠の中にころんと入る。
これは――玉入れだ。小学校の運動会でやったあれだ。
「マキ様、お乗りください。お迎えが遅くなりました」
いつのまにか豆の鞘型の乗り物が俺のいる枝の横につけられていた。鬼がどうぞどうぞと手招くので、俺はおそるおそる鞘に足を踏み入れた。ふかふかした座席に腰をおちつけると、手首に巻きついていた蔓が勝手にはずれてするする上に巻きあがっていく。
「えっと……ここってやっぱり地獄だよな」
俺は横の座席(運転席?)に座る鬼にいった。
「ハイ、もちろん。本日は節分なので、マキ様はいつもとちがう地獄落ちをされたもようですね」
「ハア」
節分なので? 俺の頭にうかんだ疑問符をよそに乗り物はふわっと動きはじめた。俺が降りようと必死だった巨木からふわんふわんと離れ、空中に大きな円を描くようにしながらゆっくりと降下する。眼下は地獄の絶景だった――そう、あそこのでかい建物は魔王城だ。
「今年は節分が二月二日となりましたので、魔王様の命令で新機軸の事業を行うことになりました。あちらにありますのが新しいスローガンでございます」
鬼は観光ガイドのような口調でいい、太い腕を伸ばした。魔王城の上に巨大なバルーン広告があがっている。
『21世紀、豆はまくものではなく、植えるもの!』
「なんだあれ」
俺は呆れ顔をしていたにちがいないが、鬼はにこにこと愛想よく答えた。
「見ての通りでございます。まあ節分につきましては、私どもに豆をぶつけるだけではつまらないとか、亡勇者イベントには飽きがきたとか、いろいろなご意見がございまして、それにたしかに今は21世紀でございますからねえ。鬼が追われるか亡者が追われるかという二項対立も古臭いとか、様々な議論の結果今年は地獄の豆の木キャンペーンの実施とあいなりまして、せっせと豆の木を育てました。どうやらそのうちの一本はマキさんのところへ直接届いてしまったようですが、これも魔王様の愛情ゆえでござ――」
俺はあわてて鬼の長広舌をさえぎった。
「わかったわかった。だいたいわかった」実際は何もわかってなどいない。「あの玉入れはなんだよ」
「豆の収穫でございます。鬼と亡者でどちらが早いか競っております」
ぽん。俺の膝にまたさっきの赤い玉が落ちてくる。よくみるとそれは豆だった。地上で亡者と鬼がやっているのは玉入れならぬ豆入れらしい。亡者は白い豆を投げ、鬼は赤い豆を投げて籠に入れている。地面にはたくさんの豆が落ちている。いや、それだけじゃない。俺と鬼の乗り物が地上に近づくにつれて、ぱらぱらと雨のように豆が降ってくる。
地獄じゅうに植えられた巨大な豆の木の鞘がはじけているのだ。俺の隣の鬼は片手で乗り物のハンドルを操作しつつ、もう片手で降ってくる豆をぽいぽいと地面に投げている。俺も見習って豆を地面に投げつけた。赤、白、赤、赤、白――だが、つぎに降ってきた豆は赤でも白でもなく茶色の豆だった。
「茶色い豆が落ちてきたんだけど」
「あっそれは!」鬼は大声をあげて俺を止めた。
「その豆は投げないで! カカオ豆です!」
「は?」
「バレンタインアトラクション、チョコレート地獄に使う豆です!」
「チョコレート地獄ぅ?」また新機軸か。「いったいどんな地獄だよ」
鬼は俺の質問に答えなかった。鞘の乗り物を魔王城の屋上に降下させるのに必死だったのである。魔王城の屋上にはいつもはないテントが張られていた。何人もの鬼が屋上に落ちている豆を拾い、色別に分けている。乗り物はふわっと着地した。つかつかとイケメンが近づいてくる。なぜかすりこぎを持っている。
「やっと着いたか、マキ。遅いぞ」
「わけのわからん方法で地獄へ来させるからだ」
俺は間近に迫った魔王の顔にドキドキしつつ(イケメンが急に近寄ると心臓に悪い)思わず文句をいった。
「なんだ、そのすりこぎ」
「これか」魔王はテントの方を指さした。
「おまえが遅いからチョコレートを試作しているところだった」
「地獄産のカカオ豆で?」
「味見したいか?」
とたんにイケメンの口がぬぬっと重なってきて、俺の口と鼻はチョコの風味でいっぱいになった。口移しのチョコレートは甘みと苦みのバランスが絶妙だったが、腰にまわった魔王の手と舌の動きが別のけしからん感覚をよびおこしはじめたので、俺は魔王の背中を叩いて抵抗した。
「ムムム――鬼がみているだろうが!」
イケメンは俺の抗議を意に介さなかった。
「マキ、味はどうだ?」
「まだまだ苦い!」
俺は断言した。魔王はふふっと笑った。
「そうか。では二月十四日までに、とっておきの甘いやつを用意する」
ともだちにシェアしよう!