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4 文化祭①
俺達の間に何かしらの変化が生じたのは事実だが、だからといって関係性が大きく変わったということはない。悠月がうちに来る頻度は夏休み以前とあまり変わらず週末だけで、しかし朝になったからって飛んで帰ることは減り、昼あるいは夜までだらだらと居座ることが増えた。
一緒にいて何をしているかといえば基本的にはゲームで、後は本を読んだりテレビを見たり、たまに勉強を見てやることもあるが俺に教えられることがほとんどないためすぐに飽きられる。悠月は料理ができないので相変わらず夕飯は俺が一人で作っている。
さて、二学期に入って最初の学校行事といえば文化祭である。俺は正直、面倒くさいなぁというのが本音であるが、生徒はもちろん他の真面目な先生方もみんな楽しみにしている行事だ。悠月も、本人が楽しみにしていたかどうかは知らないが、連日居残りをして文化祭の準備を手伝っていたところを見るに、それなりに真面目に取り組んでいたようである。
当日、国語科の先生と三人でいくつかの出し物を見て回った。全員一年生を担当しているので、一年のクラスは全部見て回った。どのクラスもなかなか凝ったものを造っている。お化け屋敷、縁日、ストーリーのあるアトラクションに、手動で回転させるコーヒーカップ、手作りのジェットコースター。凝っている。
もちろん悠月のクラスにも行った。
「お帰りなさいませ! ご主人様、お嬢様」
文化祭では何をするのかと聞いても飲食店としか答えなかった理由が今わかった。まさか女装メイド喫茶だとは。
「ほぉら、九条くんもちゃんと声張って」
男装執事もいる。きびきびした女生徒に背中を叩かれ、悠月は少しだけ声のトーンを上げた。
「お、お帰りなさいませぇ……」
「三名様入りまーす。こちらへどうぞ!」
純喫茶風のシックな飾り付けで照明もあえて暗くしてあるが、机と椅子は普段授業で使っている木製のものだ。一応テーブルクロスは敷いてあるが。
メニュー表には紅茶と珈琲とソフトドリンク各種。一押しはオムライスです、と執事の恰好をした女生徒がにこやかに言った。
「じゃあオムライス三つと、あとコーヒーも……」
メイド服を着た悠月が、盆にオムライスとコーヒーを載せて運んでくる。俺を見るなりむすっと膨れ面をする。ロング丈のクラシカルなメイド服だが、フリルのエプロンやスカートを着けるのは恥ずかしいのだろう。
「あらぁ、かわいいメイドさん」
一緒に来た女の先生が褒める。もう一人の男の先生も、似合ってるじゃないかと言って笑う。
「あ、ありがとうございます……」
悠月は頬を引き攣らせる。
「じゃあ、えと、オムライスに絵を描かせていただきます」
おいしくなーれと魔法をかけながら、一所懸命絵を描いた。真っ赤なハートがいくつも飛ぶ。これでは純喫茶と見せかけたメイドカフェじゃないか。
「できあがりです。どうぞお召し上がりください」
「わぁ、かわいい。ありがとう」
女の先生がいて本当によかった。男だけだったらきつかった……と思ったが、三年生の男子グループがいるテーブルは馬鹿みたいに盛り上がっていたので、男だけだとどうこうということもないらしい。
去り際、悠月は俺の方をちらっと見て、またむすっと睨み付けてきた。メイド服のせいか、機嫌が悪いらしい。オムライスは普通にオムライスの味だった。
その後、一緒に回っていた先生達とは解散した。解放されたみたいでほっとし、喉が渇いたので自販機で缶コーヒーを買った。
「先生!」
「あれぇ、メイドの成瀬くん」
「い、今は違ぇし」
心なしか頬を染めて唇を尖らせる。
「でも服そのままじゃん」
「だって、これは、宣伝も兼ねてるから……」
「へぇ、売れっ子は辛いねぇ」
「別に売れっ子とかじゃねぇ……」
悠月はきょろきょろと周囲を見回す。
「何か用?」
「先生、今一人なのか?」
「うん、まぁ。お前も暇なの」
「暇……だからちょっと付き合え」
そう言うが早いか、悠月は俺の手首をがっしと掴んで駆け出した。
連れていかれたのは体育館で、なぜかと訊いたら暗いからと答えた。パイプ椅子がずらりと並び、ステージでは軽音楽部が演奏している。
「お前……何なの、急に」
「……別に」
ステージライトが赤や黄色に変わる度、悠月の顔色も赤や黄色に変わる。軽音部のバンドは最近流行りのラブソングを歌っている。
「先生、この曲知ってたか?」
「サビくらいは知ってるけど。ドラマか何かの主題歌だったんだろ、どうせ」
「ポカリスエットのCMじゃねぇの」
「そうなの? こんなしっとりしてたっけ」
「さぁ、知らねぇ」
軽音楽部の演奏の後、ダンス同好会がパフォーマンスをする。こちらも流行りの楽曲に合わせて踊っている。ラブソングではないが、いかにも青春を謳歌してますって感じの明るい曲だ。よく知らないが聞いたことはある。たぶん何かのCMかドラマの主題歌にでも使われたんだろう。
「もういい。行こうぜ」
「最後まで見ねぇの」
「いい。行こう」
悠月は急激な心変わりを起こして体育館を去った。
行こうぜと言ったくせにどこへ行くかは決めていなかったらしい。校内を彷徨った後、しんと静まり返った北校舎へと辿り着いた。科学部が公開実験をしたり、映像研が自主製作映画を上映したりしている。美術室では美術部が作品を展示していて、色々なサイズの絵画が一面に飾ってある。
「先生、絵ってわかるか?」
「全然わからん」
題名や作者名と一緒に画材がどうのモチーフがどうのと説明書きがされているが、文字だけ読んでぱっと理解できるほどの知識がない。
「おれも」
「じゃあなんでここ来たんだよ」
「……人がいないから」
美術部員に気を遣ったか、悠月は声のトーンを落とした。
同じ北校舎の一階では、書道部が作品を展示している。何となくついでにその教室にも立ち寄った。よくわからないが、とりあえず字がうまい。書体も色々だ。
「おれ、芸術ってさっぱりなんだよな。小学生の頃から、音楽も図工も嫌いだった」
「芸術科目は何取ってんの」
「書道」
「渋いな」
「字書くだけならいけるかなって」
「実際どう」
「うん、まぁ、音楽と美術よりマシかな。字書くだけだし」
渡り廊下から中庭に出てベンチに座った。メイド服なんか着ているから多少目立つが、目立ちすぎるというほどでもない。変な着ぐるみや被り物をして宣伝をしている生徒は悠月以外にも多い。
「でもお前、意外だよな。真面目に文化祭参加して、偉いよ。女装なんかして、萌え萌えキュンって」
「もえ……?」
「いや、こっちの話」
悠月はスカートの裾を摘まんで翻す。白いタイツに包まれた足が覗く。足下はヒールのついた黒いストラップシューズという徹底ぶりだ。衣装係が凝り性だったのだろう。
「学校サボるよりは楽だろ。クラスメイトに嫌われすぎても後々困るからな。先生は真面目に文化祭参加しなかったのか?」
「そうだな、俺は……」
十余年の記憶を遡る。しかし全くの空白だ。
「……まぁ、サボりはしなかったかな」
「嘘っぽ」
「いやほんとだって。サボってはない、はず……サボると先生が悲しむから」
「じゃあ具体的に何したのか教えてよ」
「えっ、うーん……」
腕を組んでみても、何も思い出せない。高校時代だけじゃない。過去の出来事のほとんど全てが記憶の彼方に葬り去られている。意図的にそうしたわけじゃないけど、覚えてないってことは覚えておく価値もないことってことだろう。
「そんな昔のこと忘れた」
「へぇえ。でもおれは知ってるぜ。卒アル見たからな」
「おま、何を勝手に」
「一応許可取ったぜ。あんた寝てたけど」
「それは勝手に見たのと一緒だ」
「先生のクラスもな、メイド喫茶やってたんだぜ」
「えーうそ、マジで?」
言われても思い出せない。男子高のくせにそんなことやってたのか。俺も女装したのか?
「先生はメイドはしなかったみたいだな。写真一枚もなかった。あと、なんか賞取ってたぜ。集合写真じゃ先生も喜んでるみたいだったけど」
「マジかよぉ、全然思い出せねぇ」
「……なぁんだ。覚えてねぇんじゃ、こんな恥ずかしい恰好した意味なかったな」
悠月はすっくと立ち上がる。長いスカートがひらひらと風になびく。黒髪に白のカチューシャが映える。
「別に、意味なくはないだろ。かわいいよ、それ」
悠月は真顔で俺の顔を見つめて数秒ほど絶句した後、それはもう嬉しそうに破顔した。まさしくにっこりという擬音がふさわしい笑顔だった。
「最初っからそう言っときゃいいんだよ、ばーか」
「せっかく褒めたのに」
「おれもう行くから、これもらってくぜ」
悠月の手には冷えた缶コーヒーが握られている。俺がさっき買って結局まだ飲んでいなかったやつだ。
「おい、それ俺の」
「いいじゃん。おれがんばってるから、ご褒美ちょうだい」
悠月はスキップをするみたいに駆けていく。スカートを履いてることを忘れているんじゃないかとこちらが冷や冷やする。スカートが捲れたら大変なことになるんだから気を付けてほしい。もしスカートが捲れたらパンツが……
そういえば、パンツは男物と女物どちらを履いているんだろう。普段はボクサータイプだが、もしかしたら今日は女物のつるつるてかてかした生地のパンツを履いているのかもしれない。どうせだから確認しておくんだった。しまったなぁ。
悠月と別れた後、警備と見回りの仕事が入っていたが集中できなかった。
*
「結局いつものボクサーパンツじゃん」
家に着くなり確認した。何もいきなりスラックスを剥いだわけではない。先に風呂に入られては元も子もないので少し強引ではあったが、一応キスから始めて蕩かしてから服を脱がした。
「……パンツがなに?」
「昼間あんな恰好してたから、こっちも女装なのかと思って」
「は……はは、馬鹿だな。そんなわけねぇじゃん、ヘンタイかよ」
半裸で大股開いて蕩け顔まで晒してるくせに、悠月は勝ち誇ったように俺を見下す。
「馬鹿ったって、誰だって想像すんだろ。今日来た客の中にもいたんじゃねぇ? 外側がこんなにかわいいんだから、スカートの中までかわいいんじゃないかって」
「ぅ、や、やめろ……」
かわいくないパンツの中心部分を掌で揉む。まだちょっと柔らかい。
「でも、ここはちゃんと男だな」
「ま、前はやだって、言って……」
悠月は股を閉じて顔を隠す。そのくせ下着が湿るくらいじんわりと濡れているのだから困ったものだ。
「嫌って言っても勃ってんじゃん」
「だって、あんたが触るから……」
悠月が男性器を弄られるのを嫌がるのはいつものことだ。俺も普段ならもう少し粘るが、今日はあっさりと手を離す。
「明日もあるし、今日はやめとくか」
「えっ……えっ?」
「明日も文化祭だろ。お前、明日もメイドになって働くんだろうが」
「あ……そ、だけど」
「わかったらさっさと風呂入れ。飯は炒飯でいい?」
エプロンを着けて台所に立つ。悠月もついてきて廊下に立ち尽くす。訴えるような目でこっちを見てくる。
「今日はもうしねぇってこと?」
「しねぇよ。お前もやだって言ってたし」
「あ、あれはそういうんじゃ……」
無視して料理を始める。まずは味噌汁。明日の朝の分も作る。米は冷凍ご飯があったから炊かなくていいや。
「昨日だってそう言ってしなかったじゃん」
「そらお前、昨日は今日があったからな。で、今日は明日がある。俺だって朝早いんだから、夜更かしできねぇの。わかったら早く風呂済ませとけ。飯の前に入る約束だろ」
「じゃあ、明日はしてくれるんだな? 明日の明日は休みだ」
「えー? いいけどさ。……でもお前、明日はクラスで打ち上げとかあるんじゃねぇの?」
豆腐を鍋に入れながら言い、顔を上げた時には悠月の姿はなかった。ようやく風呂に入ったらしかった。
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