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第3話
どうやら近藤は自分がここに連れて来られた事情を、篠山から聞いて知っているようだ。ならばと直截 に云わせてもらう。
「でも、俺、本当にもういいんです。もう決めてしまって家を出てきたんだから。ここで生きていても、もっと他人に迷惑をかけることになるんです。はやく行かなきゃ」
「うん。そういうのをね、あいつが帰ってきたら、あいつに話してみるといいよ。まだ死にたい理由、篠山に話していないんだろう?」
「云ったところでどうにもなりません。どうせすべてを終わらすんだから。話すぶんだけ自分が辛くなるのが嫌なんです」
「うーん。心外だなぁ。神野くんがここに来るまでのあいだ、とか、いまの状況からさ。あ、あと、俺とかね。俺の存在とか見て、もう一度判断してみて?」
「……?」
「神野くんのいた最悪な状況から、今現在、少しでもいい進展をしているとは、感じられないかな?」
「云っていることがわかりません」
「神野くんの最悪の局面に現れたのが篠山ってだけで、俺には君の人生が好転するってわかるんだけど。あいつはすごいからさ。まぁ、身内ビイキかもしれないけど……。ちょっと騙されたと思って、あいつを頼ってみ? それでダメだったら、もう好きにするといいよ」
「時間がないんです。こうしているだけで、損害もでます」
「じゃぁ、試してダメだった場合、その損害額、俺が払ってあげる」
会計事務所で働くのなら、収入も充分あるのだろう。彼から見ると、自分の抱えている問題なんてきっとちっぽけなものだ。おなじ人間なのにお金があるのとないのとでは、こんなに人生が違ってくる。
(悔しい)
マグカップを掴む指が震えた。
「ああ。ごめん。誤解しないで。俺が云いたかったのは、それだけ篠山が頼れるヤツだってことだよ。出会ったばかりだけどさ、あいつと俺の云うこと信じてみてほしい」
ベッドの縁に腰かけていた近藤が神野の顔を覗くようにして頷いて見せたとき、外から部屋の扉がノックされた。
「あいつは頼りがいのあるヤツだよ。ふつう人間なんて拾ってくるヤツいる? それだけ企画外なんだって」
鍵を開けるべく主室を出ていった近藤は、そう云いながら篠山を部屋に迎えいれた。
「おかえり、篠山。神野くん、いま起きたところだよ」
「お、そっか。ありがとうな。助かったよ」
「ううん。俺もチェックインまで外うろつくの正直面倒だったから、ここでゆっくりさせてもらえてラッキーだったよ。来年はそこのところをもうちょっと考えて、プラン立てないとな」
「そっか? ここ立地いいから問題なくね? 女子は歩きまわるの屁でもなさそうだし、おっさん連中には、パチンコもアカセンもあるしな。おかげで金山がつかまらん」
「ああ、金山ならそうかもね」
あいつなら本当に昼日中から女遊びに行ってそうだと、近藤が笑っている。
前室からドア一枚隔てた主室までを、話しながらふたりは戻ってきた。
「いや、ほんとありがとな。もう部屋戻ってくれて大丈夫。サンキュー」
「じゃあ」
近藤は自分に「またね」と会釈をすると、カバンを持って部屋を出ていった。
(俺の人生が、好転する?)
そんなわけはない。すでにお金だけの問題じゃなくなっていた。心が奥深くまで蝕まれてしまっていて、全てが解決したとしても、もう自分はこのまま生きていたいと思えそうにない。
――騙されたと思ってアイツを頼ってみ。
――俺の云うこと信じてみてほしい。
近藤の柔らかい声は、耳に残りやすかった。
彼ならあと少しこの場に居てくれてもよかった気がするが、それは篠山とふたりきりになるのが心許なかったからかもしれない。
篠山は紙袋やドラックストアの袋を備えつけのバケージラックに放ると、隣のベッドに腰を下ろした。僅かにたばこの香りがしてくる。
「体調はどうだ? よく眠れたか?」
「……」
規格外の男? 見た目ではそんなことはわからない。彼は身長は高いほうだと思うが、むきむきと筋肉がついていることもない。日ごろ荒くれの男たちと働いている神野からしてみれば、篠山は優男にみえた。
(騙されたと思って頼ってみる……? そんな馬鹿なことができるわけ、ないじゃないか。もう時間だってない)
神野は自分を戒めるかのように、掛け布団のへりをぎゅっと握りしめた。
「おーい、まだ、だんまりか? 仕方ないなぁ」
頭を掻きながら溜息をついた篠山が膝を打って立ちあがり、バスルームへと消えていった。つぎに現れたときには、衣服を脱ぎ去りパンツ一枚の下着姿だ。
篠山は中年にしては乱れていない健康的な体躯をしていた。むしろ着痩せするのか、しなやかな筋肉を纏った彼の腹筋は、うっすらだが割れている。
「おい、この部屋のバスルーム見たか?」
この部屋に連れて来られたあと、ソファーで食事をして、気がつけばこのベッドのうえだったのだ。まだトイレすら利用していない。
「だらだら寝ていても、腹も減らないし、思考も停滞するからな。さっと風呂入るぞ」
云うなり、彼は腕を掴んでベッドから神野を引きずりだした。
「ぅわっ」
「お、やっとひと声聞けた」
楽しそうににやりと笑った彼に苛つき、ふいっと顔を背ける。
しゃべる気力がないのかしゃべりたくないのか。自分でも彼のまえになると口を開く気にならない理由がわからない。ただそのことに彼が一向に気にした素振りを見せないことが、多少なりとも自分の気に障ってはいたようだ。
ぐっと口は噤んだままだったが、それでも彼に手首を引かれるままにバスルームへついていった。
――騙されたと思ってアイツを頼ってみ。
近藤の言葉が耳の奥で、なんどもリフレインしている。それはまるで呪文のようだった。
騙された。自分はまんまと騙された!
数分後、なんの抵抗もなしに篠山についてバスルームに入ったことを、神野は盛大に後悔していた。
「いやですっ、なにするんですかっ」
「はいはい、暴れなさんなって。危ないから」
「どっ――、どこ触わろうとしているんですか、やめてくださいっ」
篠山は自分が逃げ出さないように常に見張っていた。離れるときには金山や近藤を傍に置いていったぐらいだ。
だから、勝手に衣服を脱がせて自分を素っ裸にした彼がいっしょに浴室に入ってきたときにも、てっきり監視のためだと思っていた。
それなのに洗ってやると云いだした篠山は、嫌がって抵抗する自分を簡単にあしらいながら、なんと身体の隅々までをタオルで擦りあげてきたのだ。
隅々とはまさに隅々で、無防備な性器や尻の間に至っては、彼はタオルを放って手を使ってきた。そんなところは物心ついたころにはもう、親にだって触らせていない。
しかもそれだけでは終わらず、篠山は神野の尻にシャワーヘッドをあてがうと、後ろの穴に指を挿れ、そこをかき混ぜるように擦りだしたのだ。
「やめっ、やぁっ――」
「ほらほら、もう諦めておとなしくしろ」
「やっ! は、離してっ やっ、やっ、もうっ、もう、出ていってくださいっ! なんで、そんなとこ――」
身体は立ったまま、逃げられないように壁に押さえつけられてだ。
「こういうところも、洗う場合ってのがあるんだよ」
「知りませんっ。や、やぁっ、……ってか、そんなことっ、していりませんからっ! んあっ!」
「なに云ってるんだ? 死んだらあちこちの穴からいろんなもんが垂れ流れてくるんだぞ? 死にたい気持ちがあるうちは、いつでもきれいにしておけよ」
「いいからやめっ……て、ぃやっ、やめっ……、嫌ですっ」
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