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第5話

 言葉とともに片ほうの足を左腕で押し開いて固定した彼は、もどかしくひくつくその部分に指を潜らせてきた。 「んあっ、あ、あ、あ……」  はじめになんどもこの指にそこを弄られていた。その時にすでにそこがいいと教えられて射精もしている。いまも彼の指を迎えいれた肉体は悦んで、それを幾度も呑みこむように動く。 (もっと、もっと、奥ぅーっ)  もどかしさに眉をぎゅっと寄せ、自分の最奥(さいおう)に神経を集中させる。ぐいぐいと押しこむように突かれて、中を広げるように捏ねくりまわされると、腰がベッドから浮きあがっていった。 (届いてっ)  咬みしめた唇の端から唾液がひとすじ、流れ落ちる。 (くるっ!)  「んんぅーっ、んあっ」  神野は派手に一度跳ねると、ぱたりと落ちた。  はぁはぁはぁ。  酸素を取りこもうとして胸を大きく上下させる。ペニスのさきに熱くじわりとした感覚がしたが、射精したかどうかまでわからなかった。内部がぞわぞわと淫らに蠢き、快楽を求めてやまない……。 (も、しんどい……)  終わりたい。でも、自分にはこの身体の興奮の治めかたなどわからない。貪欲な粘膜は彼の指を逃したくないとでもいうようにぎゅうぎゅうと締めつけたままだ。いまその指を抜かれたりしたら、治まるどころか返って肉欲に狂ってしまいそうだった。 「ふっ、うぅっ」  神野は自分が彼のことを縋るようにして見ていることに気づかないでいた。 「抜かないよ。しばらくこうしていてやるから、味わってな。そのうち落着いてくるから」  やさしく耳に響く言葉をぼんやりと聞き流しながら、涙に濡れた瞳を閉じた。云われたとおりに素直にそれに感じいる。 「……っあん……ん…………」  やがて荒い呼吸が治まり、疲労に瞼が重くなっていっても、そこはしばらくのあいだ蠕動しながら、彼の指に甘えていたのだ。  いつのまに眠っていたのだろう。目が覚めると部屋は薄暗く、間接照明だけが背中にあたっていた。鼻孔を掠めたたばこの匂いで、背後で篠山が喫煙しているとわかる。凝った身体を伸ばそうとすると、あちこちに筋肉痛を感じた。普通ならあり得ないところの痛みもある。 「目、覚めたか?」 「……何時?」 「八時だよ。三時間程寝たんじゃないか? 具合はどうだ? いったん起きるか?」  そう云うと、篠山は身体を起こそうとする自分に手を貸してくれた。とりあえず背筋を伸ばすと、腰に腕をまわされ抱き寄せられる。 「ちょっと俺に凭れとけ」 「……?」 「お前、女とやったことある?」 「……ないです」 「じゃあ、セックスはじめてか。世の中にこんな気持ちいいことあるって、知らなかったんじゃないの?」 「…………」 「生きていたらもっといい思いもあるだろうし、セックスにしたって、今日のは序の口だ。まだまだ気持ちよくなれるぞ」  たばこをひとくち吸いこんだ彼はふうっと煙を吐きだすと、にやっと笑った。 「知らないうちに死んだりすると、損するよ」 「…………」 「まぁ。お前が生きているうちは、俺がいっぱい気持ちよくしてやるから。……そのうち自分でも相手を見つけられるだろうし、な。今夜はこのまま煩わしいことは思いださないでいいから、幸せなことだけ想像して寝ればいい。東京に帰ったら悪い夢はすぐに終わる。安心しとけ」 「……そんなこと、あるわけないです」 「はいはい。云ってろ、云ってろ。んじゃ、軽くメシ食って、寝る準備するぞ」  篠山はベッドサイドに置いてあった灰皿でたばこをもみ消すと、自分を連れてソファーへ移動した。そこには昼間とはまた違ったテイクアウトの料理が用意されてある。  まだ温かい和定食からは食欲をそそるいい匂いがしていた。彼はいつのまにこんなものを用意したのだろうか。 「ん? これか? 金山だよ。今朝お前の手ぇ掴んで、見張りやったヤツいたろ? 買ってきてくれた」 「あなた、人使い荒いですね」 「そうか? こんなの持ちつ持たれつなんじゃないか? 運動して腹減っただろ? しっかり食えよな。見ていてやるから」  揶揄うように云われて、むっとする。そんな自分に篠山は口もとを綻ばせていた。 「……いただきます」 「いただけ。よく噛んで食べろよ。さっきまで内臓ガタガタ云わせてたんだからな。慌てて食うと吐くぞ」  食べ物をまえにしてデリカシーの無いことを云う篠山を一切無視して、箸を手に取った。  自発的に食べたいという気分になったのは、久しぶりのことだ。  それは少しづつ少しづつ頭の深いところに凝っていき、気がつけば泥が詰まったかのようになっていた。重い濁った層の奥はさらに混沌としていて、そのお陰で思考が困難になっていた。だからそれを云い訳にして、神野はとっくに考えることも、感じることも放棄していたのだ。  これからはもう見ないし、考えない。万が一その層をかきわけて上澄みに浮かんでしまうと、自分のやってしまったことに悔悟(かいご)し、追いこまれてしまう。 (そうだ。このままなにも考えなくていい……)  それなのに。  カタッとライターをテーブルに置く音がすると、しばらくしてたばこの香りがしてくる。その香りに含まれる快楽物質が作用してか、神野の重怠く投げだされるままになっていた肢体が僅かに緩んだ。  さっきまで使っていたベッドは無残なありさまになっていて、神野は篠山に云われてもう一方のベッドに移っている。額を枕からずらしてシーツに擦りつけると、プレスされた綿が心地よくて……、そのことを戒めるためにぎゅっと目を瞑った。 (…………感じるな。考えるな)  篠山に身体も頭の中も、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた。  女性との経験すらなかった脳と身体には、その行為自体も、それから生まれた強烈な快感も強い衝撃だった。ただ自覚としては、篠山との性交はまだ他人事のようであった。 (そう、それでいい)  思考をそのまま止めておけばいい。  それなのに――。  彼と身体を交わらせたことで、いままで存在していた泥塊の層が、重力を持たないなにかによってふわりと撹拌された感じが確かにあった。  カチリ。  部屋の蛍光灯が消され間接照明だけが残ると、じきに篠山が隣に潜りこんでくる。ギシッとベッドマットが撓むと同時に、たばこの残り香がふわりと鼻さきに届く。  篠山は背を向けている自分にぴったりと寄り添うと、片腕をまわして手を探りあててきた。彼の左手の指が、自分の右手の指に絡められる。成人した男性がとるには甘い行動だと、握りしめられた手を見つめながら思った。 (それとも、俺が逃げださないように……?)  自分は本当にこのまま眠ってしまっていいのだろうか。明日こそちゃんと生きることをやめることができるのか。  今日一日多く生きてしまったぶんだけ増えた罪悪感で、さらに自分自身を責めて死んでいくのかもしれない。  それとも――。  愚かな自分は、また空虚なあのつらいだけの場所に戻ってしまうのか。  戻ったところで昨日までよりもひどい現実があるだけだ。昨夜家を出た時点で、もう取り返しがつかなくなっているのだから。

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