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第11話

「お前にバレなきゃ二重に家賃とれたのに、正直な管理会社だよな」  手紙を取りあげて、篠山はそれをベッド脇のサイドテーブルに置いた。 「なんだ? うれしそうな顔して」  云われて自分の顔に手をあてる。そんなふうに云われると気恥ずかしい。 「お前、いまちょっと欲情しているだろ?」  耳もとで囁いてきた篠山の行為もセリフも煽情的で、下腹部から腰にかけてがぞくりと波打つ。 「あなたが、風呂場であんなことするからでしょ……」  神野は毎日篠山と風呂に入るのだが、彼にはそのつど尻を弄られていた。  抗うと必ず云われる「いつなんどき何があるかわからないからな」という、彼にとっては軽口らしいそのセリフに神野は正直うんざりしていて、それでもう毎晩おとなしく彼の好きなようにさせているのだ。  彼の指で粘膜を丹念に擦られて、日によって吐精したりしなかったりするのだが、それが篠山の塩梅次第なのか無作為なのか、自分にはわからない。ただそのときに射精しなければ、ベッドに入ったあと、しばらくのあいだ彼に弄られた空隙が疼いて困ったりする。  「あんなことをそんなとこで止めちゃうから? 物足りなくなったって?」  クククと笑った篠山に、肩を掴まれ仰向けに転がされる。抵抗しないので彼も扱いやすいだろう。 「週末だし、やっておくか」  篠山がサイドテーブルの引きだしから、ローションの入ったボトルと避妊具をとりだした。  今日は春臣とバーで飲んだのがとても楽しくて、そしていま返金があることを知ってとてもうれしくなっている。  遼太郎が自分のために動いてくれていたんだと想うと、胸がじわっと染みたなにかでいっぱいになった。唇が綻びてしまう。  気分のよさが、下腹部の熱をもっと育てて味わいたいという気持ちにさせていた。情欲が次第に増していくのがわかる。  だから篠山に伸しかかられたとき、神野は素直に目を閉じたのだ。背中にまわってきた腕に上体を持ちあげられて腰の下に枕があてがわれると、これから与えられる悦楽に期待して胸が高鳴った。身体は正直で、はやくもペニスは立ち上がっている。  そしてこの夜も。 一瞬だけ――、春臣のことが脳裡によぎった。  彼のお陰で安穏(あんのん)な日々を送れ、今日だって素敵なお店に連れていってもらったというのに――。そこで調子にのった自分は、その彼の恋人といまから寝るのだ。  恩を仇で返しているということは、重々わかっていた。  神野はごめんねと、ひとことだけ胸の中で唱えると、しかしすぐにその罪悪感に蓋をしてしまう。  ――だってこの行為に恋愛感情はないのだから と、いつもどおりのセリフを胸の裡で呟いて。  自慰をするときには射精までにけっこう時間がかかっていた。だから自分は早漏ではないと思う。しかし童貞だから他人から施される快感には弱いのか、神野ははじめて篠山と寝たときから、前を触られなくても、尻を弄られるだけで射精できていた。  大阪のホテルでその日のうちにそこで得る快感だけで吐精できることを学んでいたので、彼とこうするときは、あたりまえのように後ろを突かれるだけで満足しているのだ。  まれに篠山にペニスを扱かれて達することもあったが、そんなものは放っておいても精は吐きだせるのだ。逆にそこを触られるとあっという間に果ててしまうので、できれば触られたくなかったりする。  童貞が性行為に慣れてしまうと早漏でなくなるのだとすると、自分もそろそろ射精までの時間が延びてもいいはずだろう。荒く息を吐きながら神野はそう恨めしく思った。  なにしろ篠山が一回達するまでのあいだに、自分はなんども果ててしまうのだ。だから彼が満足するまでつきあっていると、こちらはへとへとになってしまう。 「本当に体力ないのな。まぁ、お前、敏感だもんな。感じまくってびくびく跳ねてるから、疲れも倍増か?」  篠山が云うには、自分は他人よりもこの行為に素質があるらしい。  身体がへとへとであろうが、身体の内部はいつまでも疼く。不随意な痙攣を繰り返しながら、尻の中の粘膜は淫猥な刺激を求めることをやめようとしなかった。 「そんなにぐったりしているんだから、もう終わっとけばいいんだけどな。でもお前の身体はそれでは不満なんだよなぁ」  ひどい云われようだが、事実だった。自分の貪欲な肉体につきあっていると際限がない。寝る時間がなくなってしまうではないか。 「どうする? もっかい挿れて擦る?」  「……もう、いいです」  落着かない呼吸に肩を揺らしながら、神野は枕に埋めた頭を力なく左右に振った。篠山が出ていった隙間が、彼が戻ってくるのを欲していつまでも蠢いている。  お願いしたいことがあったが、口にしがたくて枕にぎゅっと額を擦りつける。しかし察してくれた篠山は、陰部にそっと指を挿しこんでくれた。 「……ふぅっ」  途端に甘い痺れが脊髄を駆け抜け、身体がふるりと震えた。そのあとは少しづつ掻痒感(そうようかん)に苛立っていた神経が(なだ)められていく。ほっとして肩の力が抜いたとき、その動きのせいでまた神野のそこは篠山の指を呑みこむように蠢動した。それでまた火がついた。 「あぁ……」  彼が云うとおり自分の肉体は、ふつうの人間とは異質なのだろう。おかしいくらいにその場所で快楽を欲しようとする。  神野はそれから二度、水のように薄い液体を鈴口から吐きだした。そしてひと眠りしたあと、明けがたになってふたたび身体を火照らしたのだ。  寝室にリビングを通して朝の光が差しこむころ、自分はまた篠山に深く穿たれていた。 「あぁっ、あっ、あっ」  体力なんてひとかけらも残っていない。うつ伏せで篠山に引っ張りあげられた尻だけを突きだす体勢で体内をかき混ぜられていて、自分の四肢は揺すられるままに壊れた人形のように揺れていた。 「あぁ…‥あぁ……」  どれだけ疲れていても、神野はそこを突かれるのが堪らなく気持ちよくて、濡れそぼつペニスを震わせながら、狂ったように腰だけをくねらせつづけたのだ。  いったいいつまでがセックスだったのだろう。さっき篠山がベッドを抜けだしたときまでなのだろうか、それともそれよりまえに終わっていたのだろうか――。 「うぅ……っく……」  そして自分はいつから、こうして泣いているのだろうか。セックスの最中からなのか、終わってからなのか。理由もわからないでいた。悲しいのか、苦しいのか、それさえも。でもなぜだかわからないのに、涙があとからあとから零れてくるのだ。 「ううぅ。ひっく……」  そして神野はその涙をとめようとも思えず、細い身体をちいさく丸めて乱れる呼吸に胸を喘がしつづけていた。 「ぅっく……」  皺のよったシーツを視界にとらえる目の、その際にあつまってきてはぽろりぽろりと頬を転がり落ちていく雫は、枕にいくつもの丸いシミをつくった。瞬きをしたときには、シーツのうえでボタボタッと音をたてるほどの量だった。  ベッドに戻ってきた篠山が背後から抱きしめてくれ、いつもとおなじように腕をまわして右手を握ってくれた。その温もりを身近にしたくて、繋いだままの手を引き寄せた。彼の手の甲に自分の頬に押しあてると、涙が篠山の手を濡らしていく。 「ふぅっ……っうぅ……」  あげた嗚咽に身体を起こした彼が、顔を覗きこんできた。耳の後ろにキスをされて、肩を掴んでひっくり返される。 「ほら、神野。こっち向け」  仕方がないなといったふうに伸びてきた腕がやさしく自分を包んでくれて、正面から彼の胸に抱きしめられた。篠山は頭の下に腕を敷いてくれたが、それを使うことはしないで彼の胸へと顔を埋める。鼻さきにいつもの匂いを感じると、もっとその匂いを嗅いでいたくなって、神野はその胸に甘えるようにして鼻を擦りつける。温かくそしてひどく安心できる場所だった。彼は嫌がりもせずに好きにさせてくれている。  彼に正面から抱きしめられたのは、はじめてのことだった。

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