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第14話

 遼太郎が情も厚く、懐も深いということを春臣だってちゃんとわかっている。遼太郎がもし神野の立場になったとしたら、彼こそ身を(てい)してでも、伯母や親の面倒をきっちりみるのだろう。だからこそ、遼太郎は逆に悪たれ口を叩くのだ。そうすることで彼はストレスを緩和し、自分自身のバランスをとっている。 「来年もがっつり支出あるからな。気を抜くなよ、祐樹」 「はい」 「いやいやいや、なんとか遺産から支払わせようよ」 「いえ、もういいです。みなさんには負担が掛かっているので申し訳ないとは思っていますが、でももう、お金はいいんです。とにかくあのひとたちには、二度と関わりたくないんです。ごめんなさい」 「むぅ…‥」  ふんっ、とそっぽを向いた春臣は、それでも「金返せよな」と小声で呟いていた。  春臣もしつこいように見えるが、おそらく神野の代弁のつもりだろう。春臣はそうやって、神野の気持ちを軽くしてやっているのだ。それが分かっているのか、神野はとてもやわらかい表情をしていた。 「あれ? 匡彦さんまだ飲むの? 珍しいね」  冷蔵庫から新しい缶ビールを取りだしていると、目ざとい春臣にみつかってしまう。いつもなら晩酌はビールなら二本程度に留めているのだが、今夜はこれで四本目だった。   篠山にも神野の伯母とその親族の件には多少思うところはあったが、遼太郎と春臣が彼に親身になってやっているのでそれでよしとした。しかも彼らを見ているうちに、篠山自身も居酒屋から引きずっていたあの苦い思いを、払拭することができていたのだ。 「なんか、今夜は酒がうまいんだ」  篠山はにっと口角をあげると、春臣にきれいなウインクを投げた。  常夜灯の暖かみある光だけを残した寝室に入ると、さきにベッドでうつ伏せになっていた神野が肘をついて上体を少し起こした。どうやら自分が来るのを待っていたようだ。 「遼太郎さん、怒っていませんでした?」 「どうして?」 「今日、せっかく病院まで運転してくれたのに、結局、私は行く必要がなかったみたいだったし。それに伯母の身内にも嫌なこと云われて――。向こうに着いて休む間もなく帰ることになったのだって、運転だって疲れたと思います」 「ああ。まぁ機嫌は悪かったみたいだけど、それは神野にじゃない。それに病院にいたその親族ってひとたちにでもないと思うよ。……もしかして、お前は今日、それをずっと気にしてたのか?」  神野は頷きながら、はい、と答えた。 「そっか。そりゃ気をつかったな。遼太郎はお前には絶対に怒っていなかったから、安心しろよ」  頭をくしゃっとかき混ぜると、彼は疑わしそうに僅かに口を尖らせた。 「……あいつにもいろいろ事情があるんだよ。それを俺がお前に勝手に教えるわけにいかないけど。んー。なんて云うかな。いま、あいつはお前を通して、自分に向きあっているって感じ。だから厳しいのも怒っているのも、自身のためだ。お前にじゃない。だから気にすんな」  いくら神野を得心させるためとはいえ、自分が遼太郎のことをむやみに話すことはできない。神野を見守ってやりたいという気持ちがあるのと同時に、遼太郎のことも尊重してやりたかった。  以前、遼太郎は彼の()けた能力が仇になって、彼自身を雁字搦めにしていた時期があった。彼のやさしさと、彼に依存する周囲に追いつめられた結果、遼太郎は線路に身を投げこんだことがある。  遼太郎はどうやら、神野にあの時の自分を投影しているようだ。きっと神野の問題を通して内省し、自分を揺るぎないところにまで成長させたいのだろう。 「自分のため? 全部? 遼太郎さんが?」 「偶然な。神野のことがいい具合に、あいつの抱えている問題にフィットしたんだよ。だからお前に厳しいかもしれないし、怒っているように見えることもあるかもしれないけど、それはお前にたいしてではないから、気にしないでやって。だからと云って、遼太郎がお前のためを考えてないわけじゃないぞ。あいつはもともと面倒見のいいやつだ。自分のことがなくったって、親身になってくれていたよ」  伯母さんのことも云われてつらかっただろうけど、悪かったな許してやってくれ、と遼太郎に代わって謝る。それに神野は「いいえ」と首を左右に振った。 「伯母のことは、……じつは私も遼太郎さんが口にしたこととおなじことを、思ってしまいました」  神野が視線を落として、シーツのうえに置いた手をぎゅっと握りしめた。自責の念に駆られたのか、そのまましばらく黙りこんでいる。そしてそのことは割り切ることにしたのか、それとも自分に云い聞かせようとしているのか――。 「実際もう伯母にはお金がかからなくなりますし、母からの煩わしい電話も減るでしょうし――。正直、悲しむよりもさきにほっとしてしまいました」  顔をあげるとそう云って、彼は苦笑した。  篠山は今年二十八で、遼太郎と四つ、神野や春臣とは六つも年齢に差がある。年配者から見ると若いうちのこれくらいの年の差なんてあってないようなものなのだろうが、それでも社会に不慣れで、環境や周囲の人間に足もとを掬われがちな彼らを見ていると、篠山は保護者にでもなったような気持ちになった。  まだまだ不器用な面が多いが、一生懸命自分を奮い立たせ成長していこうとする彼らの姿は見ていて微笑ましい。今日なんて素直でない遼太郎の精一杯の神野へのエールを見ることができて、篠山はご満悦だ。 (もはや保護者を通りこして、俺の心はオジサンか……)  神野は今晩はなかなか寝つけないようだ。たいていは夜はいままでの溜まりにたまった肉体と精神の疲れのせいでか、彼は風呂からあがると気絶するかのようにすぐに眠っている。もしくは気が(たかぶ)りすぎてしまって、眠れないかのどちらかだ……。 「てか、お前、酒飲んだらやりたくなるのな」  さっきから落ち着きなくごそごそと寝返りを打っている神野の耳に囁くと、彼は瞬時に耳を赤く染めた。そんなかわいい反応をされると、堪らない。 「脚こすりあわせて、なにモジモジしてる?」  ついつい若い子を揶揄ってしまうってのが、もう粉まごうことなきオジサンだ。  あからさまにむっとして背中を向けた彼を、抱き寄せてひっくり返す。  そして喉の奥で笑いながら、胸を押し返してくる彼の手首を片手でまとめてしまうと、抵抗する彼のパンツをいとも簡単にずり下げてやった。                    *  神野がここに住むようになって、そろそろひと月半が経つ。暦はもう十一月だ。  仕事を終えた篠山がリビングに戻ると、春臣に目配せされた神野が冷蔵庫からビールを持ってきてくれた。 「お疲れ様です」 「ああ。ありがとう」  手渡された缶のタブをたて、篠山はソファーに座って足をのばした。冷えたビールを呷るとアルコールが身体に染みわたり、一日の疲れが飛んでいく。 「あの、週末に働いていたバイトさきに、今日辞めるって云ってきました。十五日で最後です」  神野の代理として春臣が週末の深夜のコンビニにはいりだした時点で、機転を利かした店長がすぐに新しいバイトを募集していたそうだ。そして入ってきた新人はいま研修中だという。神野は迷惑を最小限に抑えることができてよかったですと、うれしそうな顔をしていた。 「遼太郎さんにはやく辞めて、今年の所得を減らしておくように云われたんですが……」 「だな。バイトするならまた来年からな」  目のまえに立つ神野の手をとる。男にしては薄めの手のひらは、握るとひんやりとしていた。しかし緩く擦っているうちに、それはじんわりと熱をもちはじめ色づいてくる。少しまえまで、この手はいつまでも凍えているように冷たかった。  それが最近では、食事をしたときなども頬に血が上りやすくなってきていて、それが彼の自律神経の調子がよくなってきたことを教えてくれていた。それに喜怒哀楽の表現も少しづつ増えてきている。そろそろ心も身体も安定するころなのだろう。だからこそ、彼にはいまがとても大事なときだった。心身ともにできるだけのんびりさせておいたほうがいい。  今さらこの時期にバイトを辞めて数万程度収入が変わったところで、徴収される税金の類に大きな差はでないはずだ。それなのにそれを理由にして遼太郎が神野にバイトを辞めさせたのは、きっと神野と春臣、ふたりの体を心配してのことだろう。嘘も方便というやつだ。 「はい。遼太郎さんには来年からは二十万を超えないように、ってことも云われました」

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